東京から来た恵ちゃんを四週間預かった。駅に出迎えに行った時、これが私たちの初対面だったが、大層華奢で、アフリカ人風の髪型をした少女をホームに見つけて、私は少なからず動揺した。ここ数十年、この年令の日本人と親しく接したことがない。うまく対応できるだろうか。
家に着いてすぐ昼食の時間になった。はたと気づくと、私は結構いそいそと楽しく食事の準備をしている。この嬉しさは何だろう。ヘアスタイルゆえの不安はもうまったくない。数日してわかったのは、母国語が家の中で使えるというのは何とらくちんなことだろうということだった。日本語をまるで話せない夫とその連れ子との暮しの中では、ついぞ味わったことのない安らぎを恵ちゃんはもたらしてくれる。
言語の問題だけではない。行動の仕方も私と同じところがある。ある日の夕方、「干してあるめぐちゃんの洗濯物、とり込んで」と頼んだら、「ほかのもいれる?」という返事が戻ってきた。私の育て方が悪かったのか、うちの子など絶対にこうは言わない。「トイレの紙全部使っちゃったからもうない」と言うのにも感動してしまった。こう言われれば「はい、それじゃあ補給するわ」となるのだが、私の家族とはそうはいかない。私の夫が気のつかない男で、その娘も同様なのか、自分の分さえあれば、次の人のことなどまるで眼中にない。トイレにはいったら、まず紙の有無を確かめるという癖が私にはついてしまった。
私は、うちの中でも外でもフランス人に囲まれて孤軍奮闘してきたわけか。自分の家に自分と同じ文化を分かつ自分の子がいるというのは、ひょっとして大事なことだったのかもしれない、と、もう取り返しのつかないことに思い当たった。(tetu)