かつて数年滞在したことのあるフランスに、十年あまり日本で暮らした後、戻って来ると驚くことが多い。サンドイッチやケバッブなど、いわゆるファーストフードの店が増えたこと、日曜営業するカフェが増えたこと。当時は留学生で気がつかなかっただけかもしれないが、スーパーの食品売場には缶・瓶詰もの、インスタント製品がことのほか多い。
さらに驚いたのは言葉の変化。造語・新語が次々と生まれては消えていく日本に比べ、言葉の動きには保守的なのがフランスだという思いが強かった。だから人々が”C’est top”と言っているのにはなかなか馴じめず、別れ際 (電話での通話を終える時も) “A plus”と言っているのには思わず振り返った。単語も、古い家屋の明り取りに屋根を穿って取り付ける VELUX (企業名?)やフランス式かけ布団を表すcouette 等、馴じみがうすい言葉だ。
日本では、動詞までが変化の浸蝕を受け、「見れる」などラ抜き言葉が、外国の人への日本語教育の現場でも許容範囲になりつつあるそうだ。それを思えば取るに足りない変化なのだろうが、不在の長さを知らしめるには十分だ。フランスは、あれほど再会が待ち遠しかったのに、まだすこしよそよそしい。(粒々芥子)