芸術橋から抑圧者を射る眼差し。 OUSMANE SOW

 ダカール沖の青黒い海、そして周辺の赤土色の大地と土埃はウスマン・ソウの彫刻の粗いテクスチャーと直結している。2.2メートルもあるウスマン・ソウの創ったヌーバやマサイ、ズールーの眼差しは、アフリカの荒野や黒い海、ダカールの沖にある奴隷売買の島だったゴレ島に向けられているのだ。
 この彫像群が芸術橋の上に見世物のように並んだ。作品を鑑賞するための環境は無視された。これらの彫刻が芸術作品としてキュレーションされなかったことは非難に値する。メディアを動員した大々的な宣伝で、この狭い橋にあれよあれよと人の波が押し寄せているが、これはある意味でフランスの異国趣味を反映しており、また同時にあらゆるものをスペクタクルにしてしまう今日の風潮を見事に表している。アフリカヘの憧憬、アフリカ=野生というステレオタイプを当てはめようとする西欧の願望、あるいはアフリカ彫刻にたいする願いが見て取れる。
 しかし、だからといって、このセネガル出身の黒人彫刻家の作品群が持つ表現の強烈な直接性は少しも減じていない。無論、これらは西洋が欲するアフリカの独自性ではない。ソウは、ダヴィッド、ドラクロアやロダン、ブールデル、ピカソなどから学んでいるのだ。作家が連用するデフォルメがこれらの西洋美術に多くを負っていることを示している。「リトル・ビッグ・ホーンの戦い」が、ピカソの「ゲルニカ」を参照していることは疑いない。
 アメリカ・インディアン、シェイエン族の唯一の最期の勝利の闘い、被抑圧者たちへの賛歌である。(kolin)

*「仏語圏週間」の催しの一環として、Pont des Arts で5月20日まで。


白い婚礼衣装は19世紀後半に定着。


 日本では古代に、さらした白い麻布を衣服に使うようになると『白は清浄の色』とされるようになった。巫女が白装束なように、神聖観を表現する色ともなった。結婚式は花嫁が神に仕える式で、そのために白の祭服を着たのが白無垢の起源、と「日本人と装い」のなかで樋口清之氏は著している。
 ヨーロッパでも、1558年にマリー・スチュアートは「百合の花のように白いドレス」で挙式、長い引き裾はダイヤモンドで縁取られていた、とか、モンテーニュがイタリアで107人の白い花嫁を見たという記録がある。絵画のなかの結婚式の様子などからも、ヨーロッパの白い婚礼衣装は16世紀に始まったとされている。フランスでは1814年の王政復古でカトリックが復興、聖体拝領の儀式に白ドレス、ベール、オレンジの花を持つようになり、1854年にはそれがフランス全土に広まった。この影響とファッション誌で流布された白いドレス姿が花嫁の間に流行、19世紀後半には定着するに至ったそうだ。
 結婚率の低下、 PACS(連帯市民契約)論議など、結婚はかつての意味を失った。白いウェディングドレスに対するフランス女性の蔑視、賛美などの意見が最終展示室に貼ってあって面白い。近ごろの珍妙なドレスもいいけれど、カレー産のレースや、金・銀の結婚祝いの品々も堪能したい。
 純潔の (処女) 色、『嫁いだ家の色に染まるように白で嫁ぐ』なんていいながら、社会が女性に押しつけていた道徳観を見たような気がした。(美)
*”Mariage” : 8月29日 Musee Galliera :
10 av. Pierre-1er-de-Serbie 16e M: Iena 45F – 32F 10h~18h (月休)


 

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