バルカンの運命を生きるコソボ。

 かつてはビザンチン、オスマン両帝国に支配され、20世紀にはバルカン戦争(1912-13年)、そして第1次、第2次大戦の”火薬庫”となったバルカン諸国。宗教(東方正教、回教)と南スラブ民族(セルビア人、クロアチア人、アルバニア人、モスレム人) の相克の歴史が、戦後ユーゴスラビアではチトーによる社会主義体制をもって終結したかのように思えた。が、1981年チトーの死後、社会主義に代わる民族主義がミロシェビッチ大統領の掲げる大セルビア主義に集約され、民族浄化がバルカンを総なめにしている。
 コソボ元自治州での民族浄化は、90年ミ大統領が同州の自治権を廃止して以来本格化し、人口の9割を占めるアルバニア系住民への差別(公職からの排除、不動産購入の禁止、教育施設の閉鎖等)に始まり、彼らの追放・強制移送後、祖国に戻れないように家を焼き払い、身分証明書等も破棄し、去らない者は殺害するアルバニア系住民一掃作戦。3月24日以後NATO軍のセルビア空爆がさらに難民を流出させ、4月末までにコソボからの避難民は90万人にのぼり、EU諸国を政治・経済的、社会的にも揺るがせている。
 いったいミロシェビッチ大統領とはいかなる人物なのか。1941年、ナチ侵入後ベオグラードに生まれた。父親はギリシア正教神学者だったがロシア語やセルビア・クロアチア語を教え、母親も教師で熱心な共産主義者だった。兄は現在モスクワ駐在ユーゴ大使。父は62年にピストル自殺、母は74年に首吊り自殺、マケドニアの元将軍だった伯父も自殺している。
 野望に燃えて法学を専攻したミロシェビッチ氏は78年ベオグラード銀行頭取に。その後チトーの側近と親しくなり84年に政界入り、86年セルビア共産党書記長、88年大統領に就任。そして翌年6月28日、1389年セルビア発祥の地コソボでオスマン軍にセルビアの王子が殺され、敗北した戦場跡 “Champ des Merles ツグミが原”でその600周年大会が開かれた。ミ大統領は100万人の観衆を前にして「600年にして新たな戦いを!」と絶叫。おりしもコソボで少数民族になりつつあったセルビア系住民の不満が爆発、ミ大統領の率いる民族浄化の”十字軍”に吸収され、以後スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナと、各共和国内で民族間の内戦に発展。91 – 92年にこれらの共和国は独立を宣言したものの、95年までに約25万人の死者と約450万人(そのうち国外に100万人)の難民を出している。
 NATO軍は空爆による人道的介入によって是が非でもコソボを奪還し、国連防護軍監視のもとに避難民を帰還させることを目的としているようだが、民族主義が生み出す「人道に対する犯罪」の根を、はたして空爆によってバルカンの地から断ち切ることができるだろうか。 (君)


コソボ避難民(99/4/18日現在)
960,000 国内疎開者(98年~)
735,000 国外避難民(98年~)
564,000 NATO軍空爆以降
356,500 アルバニア
124,000 マケドニア
74,000 モンテネグロ
120,000 欧州27カ国
(98~99年4月)
*国連難民高等弁務官発表(Liberation : 99/4/19)


 

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