再び、ヒゲ談議。


 前回、この記事で「男らしさをアピールするため」の口ヒゲ、とコメントしてくれたハスニさん。 「頬、あごは信仰と関係するから生やさない」と付け加えた。
 ユダヤ教では旧約聖書に記されている通り、聖職者だけでなく信者も髯を生やしている。
 ヒトラーはあご、頬髯嫌いだったというし、ショーペンハウエルも「あご、頬髯は、人間としてよりも、何よりまず男であることを欲する野蛮なもの」と、こきおろしている。国民戦線党のル・ペン党首は「barbu 髯を生やした」という語を侮蔑的に使ってイスラム教徒の侮辱、と問題にされたことがあった。
 ギリシア正教アタナジオス大修道院司教に聞いてみた。「私たちの宗教では聖職者は髯を切ってはならず、頭髪も短くしてはいけませんが信者は好きにして構いません。昔ロシアでは私のような髯の男がたくさんいたのですが、ピョートル一世が西洋化を進めるために禁止したのです。」思慮深さ、男らしさのシンボルである髯の手入れは「頭髪と一緒にシャンプーで洗ったり、または体とともにシャワー・ソープで洗ったり。櫛でとかし、時にはオ・ド・トワレを噴霧」。日本人で髯の薄い人が聖職者になる時も、つけ髯は許されない。
 サン・ジェルマンにある書店の御主人によれば「barbu な理由は、敏感肌に地中海的な固いヒゲなので剃るのが不可能だから」。「一カ月に一回バリカンで刈る。5分で済むから時間の節約にもなる」という。18歳から60歳まで、毎日10分間の髭剃りをすると106日間を費やすことになるのに、なぜ髯を剃るか。「Bodywatching」の著者は、髭を剃る行為を「僕は髯を剃って男らしさを和らげるから君もそうしてくれると互いにケンカすることなく仲良く遊んだり働いたりできる」という協調を求める行為、と分析する。
 でも皆が皆、大義名分をもってbarbu かそうでないかを決めているのか?「ただ、楽しむため」というのは先日、高校生のデモで見かけた男性。寒さが厳しい時、髯に氷ができるのが楽しいそうだ。寝る時は髯が呼吸できるように布団の外に出してやる。友人も「親子三代 barbu だけど、なんとなく。青いズボンか緑にするか考えずに決めるようなものかな」

(美)