想像のエクトメートル:Gilbert & George N° 405 1997-11-15 イメージのラディカリズム プロッシュ・ギルバート(43年生れ) とパサモア・ジョージ(42年生れ)が一人のアーティストとして二人三脚の活動を始めるのは68年から。その30周年を記念してフランスでの初の大回顧展である。 英国紳士的? 大衆的? 表現、強烈な色彩とステンドグラスのようなイメージは、見るものに襲いかかり、のみこんでしまう。サイケデリックな色彩とは相対的な英国紳士風ないでたち、かと思うと、裸でウンコのうえにオチンチン丸出しで突っ立っている近作群は凶暴で挑発的、絶望的でさえある。しかし、「みんなのための芸術」を目指す彼らは唱える : 「究極の理想としての人間の条件を我々は信ずる。…我々はアートのためのアートを嫌悪する。芸術至上主義には断固として反対だ」と。 ギルバートとジョージは1967年ロンドンのセント・マーチン美術学校の彫刻科で知りあった。二人ともカロの率いる彫刻教育に反旗をひるがえし、そこから「生きている彫刻」、「歌う彫刻」が始まる。 英国紳士よろしく背広を着た彼らの身体そのものが彫刻となり、つまりごく私的な存在そのものをアートに拡大したわけだ。昔の電蓄のように歌いながら操り人形のように動くところは、まだ芸術に対する純粋な憧憬さえ感じられる。 しかし、70年代のモノクロ写真に赤を使ったシンメトリックな表現から80年代以降になると、色彩が過激になり彼らの同性愛的なものや、疎外され差別され排除されたモノやコト、都市、セックス、暴力といったものが前面に出てくる。タイトルには卑語が連発される。 彼らは明らかに侵犯行為を目指している。だが、単にスキャンダルを目指すのではない。それは彼らの現状に対する異議申し立て、反抗と怒り、悲しみと絶望の表現以外のなにものでもないのだ。 (kolin) *Musee d’Art Moderne de la Ville de Paris 1998年1月4日まで Share on : Recommandé:おすすめ記事 【イベント】5 /18 ヨーロッパ 美術館の夜 – Nuit européen des musées 【美術展】ミリアム・カーン「連続する私の思考」展。 「マティス。カイエ・ダール、1930年代の転換期。」展 写真家アーウィン・ブルーメンフェルドにも苦難の時代があった。 ココシュカの、芸術家、人間としての成長を見せる展覧会。 フュースリー 夢と幻想の間で。