パリのストリートアート。
1960年代後半に、ある郵便配達員がニューヨークの通りに残した落書き 「Taki138」が起源とされているストリートアート。50年を経た今、そのムーブメントは、源流とは大きく形を変えて世界中を席巻するカルチャーとなり、パリでも独自の発展を続けている。
ヴァンダリスムとしてのストリートアート
街で見かける黄色いポスト。きれいな状態を見たことがないくらい、必ずステッカーと落書きまみれだ。ポストに限らず、余白さえあれば落書きする、自分の通称を書き残す「タギング(タグ付け)」は、1970年代アメリカの若者の間で流行となり、その後、ヒップホップカルチャーと結びつきグラフィティアートとして発展した。
ただの乱暴なサインのようなものからポップな太い字体に影が付く「オールドスクールグラフィティ」が支流になり、その中でもレタリングのセンスと技術が問われるアート性を競うものとして発展した。それはその後、ジャン=ミシェル・バスキアのように、すでにあったスタイルに敬意を払いながらも独創的な表現方法を生み出し、レタリングから離れた自由なスタイルを作り出し、グラフィティのあり方を自由に大きく変容させていった。しかし、源流にあるタグの文化も未だに健在で、現代のモダンなスタイルと共存しているところがなんとも面白い。
タグ行為の目的は単純に「自分の宣伝」だが、そのベースには、街にあふれる企業広告と同様に、自分たちにも不特定多数の人に向けて何かを主張する権利があるという考えがある。このタグはヴァンダリスム(公共物破損迷惑行為)として嫌われる反面、いまだその「プレイヤー」は多く、フランスのグラフィティ黎明期の80年代から今も現役で街中に同じ名前を残し続けるタガーも数多くいる。
また、タガーにはタギングを遂行できたことによる達成感があり、罰金、下手をすれば懲役というリスクを負うこの行為自体に価値を見出す者もいる。このようにアートと言っても違法行為自体が表現に含まれるという考え方があるのはストリートアートの成り立ちにおける一つの要素であり、それはアートは無償で提供される自由なものであるべきという彼らなりの哲学なのかもしれない。
— 悪名高いTagueurs
Azyleというタガーは、同じ文言を狂ったように何回も同じ場所に書き続ける「Punission(お仕置き)」をメトロの車体に施し、2007年に逮捕された。RATP(パリ交通公団)との裁判は昨年まで続き、「悪質で意図的な破損行為」に異例の賠償金138,000€が科された。シャネル、マルジェラなど高級アパレルブランドの店舗にペンキをぶちまけるように「参上の痕跡」を残すKidalutも派手さと大胆さで名を挙げた一人。彼は夜から明け方の、人通りが少ない時間を狙い、巨大ボンベで店を塗りつぶす過激なパフォーマンスを動画でとるなどし、一部のファンから熱い支持を受けている。
— リスクとは常にとなり合わせ
街の公共物に勝手にモノを貼ったり書いたりするのはもちろんフランスでも犯罪行為。見つかった場合は器物破損の罪で最低1500€、もしくは悪質な破壊行為や不法侵入罪が付加する場合など最高30,000€の罰金が科せられることも。現行犯に限らず監視カメラの映像から人物を特定して後日に自宅で検挙されるケースもあれば、自ら描いている様子をSNSにアップロードして足が付き、捕まるケースもあるという。警察はタグを消すために年間膨大な清掃費を費やすSNCFやRATPからの要請を受け、取り締まりに力を入れており、タグ自体の量はここ数年は減少傾向にあるそうだ。また、逮捕どころかメトロの線路や高所に行く彼らは命のリスクも背負う(年間2人の死者が出るとか)。とはいえ、危険も顧みずメトロの線路を徘徊する者は後を絶たないという。