〜 ナポレオン3世の失脚から、パリ・コミューヌまで 〜
世界初の労働者政権「パリ・コミューヌ」樹立から今年は150周年。第二帝政の終焉からコミューヌ内戦まで、パリの街を歩きながらたどる連載。
新型コロナ流行の前と後では、世界は異なったものになっているのではないか。誰もがそんな思いにとらわれ始めている。ちょうど150年前、1870〜71年のパリでも人びとは同様の感慨のうちにいたかもしれない。
1870年7月19日、ナポレオン3世はプロシアに宣戦布告。普仏戦争が始まる。もっともこの宣戦布告、事の重大さの割にすっきりしない。冷静さに欠いて新興プロシアの宰相ビスマルクの挑発に乗り、ついついやらかしてしまった。そんな印象を拭えない。
かのナポレオンの甥にして場数を踏んだ「皇帝」ではあったけれど、20年近い統治の日々にいささか倦み、状況認識力を失っていたかもしれない。ライン川東の小国に負けるわけはない、とのおごりもあったに違いない。国境地帯での苦戦を耳に出陣するや、準備万端ととのえ手ぐすね引いていたプロシアに呆気なく敗北、9月2日にはあっさり捕虜となる。これ、すなわち第二帝政の瓦解を意味した。
9月4日、この報がパリに届くと、人びとは一斉に国民議会周辺に集まってきた。その数50万人とも言う。津波のような群衆に囲まれ、国民議会の議員たち、帝政最末期の選挙で選ばれた「消えた皇帝」支持だった多数派は、生きた心地もしなかっただろう。民衆意識の最大公約数が帝政打倒、共和主義政権樹立であることをよく知っていたからだ。
となれば群衆に説得力のある言葉を投げ、この場を乗り切るしかない。ひとときの妥協。少数派の共和主義者にでもここは任せるしかない、時間をかせげばいくらだって巻き返しはつく。胆力と人気とスピーチ能力のある誰か……。
そこで登場したのがガンベッタ。共和派議員であった彼は群衆を前に、帝政終焉の宣言を読み上げる。後にプロシア軍に包囲されたパリから気球で脱出するなど、エピソードに事欠かぬ熱血漢ガンベッタは、アピール力抜群の適役だった。共和制を宣言して大衆を納得させながら、多数派議員は臨時国防政府の発足に成功する。
中枢メンバーは「皇帝」のもとで選ばれた「現状維持派」議員たち。皇帝なきあと降って湧いた共和制で「現状維持」が 「臨時国防」になろうと、立ち位置は変わらない。上層ブルジョワたるわれわれ、その地位と財産を守り抜く。これだった。
抗戦のスタイルを取りながら、プロシアの宰相・ビスマルクとひそかに和平交渉にあたる。それが彼らの基本姿勢で、その証拠に正規軍は戦う形を見せては敗北し、精鋭と称されていた部隊など戦わずして兵力を温存したまま降伏してしまう。老獪なビスマルクは一方で交渉を重ねながら、政府内の混乱を横目に着実に進軍し、早くも9月19日には首都パリを包囲する。
1870〜71年の秋冬は例年にない寒波が訪れた。凍てつく寒気の中で封鎖されたパリ市民の厳しい暮らしぶりは、モーパッサンはじめ多くの文芸作品に描かれ、今でも語り草になっている。薪も炭も底をつき、犬、猫、ねずみ、動物園の動物たちも市民の胃袋に消えた。
こういう状況にあって、苦しみのあまり市民は和平を求め……はしなかった。むしろ市民としての自覚、連帯感、愛国心に目覚めていく。それも強烈に。革命を重ねながら築きあげられてきた人びとの心性というべきか。そこまでは分からない。しかし、ここが興味深い。興味深いというのに語弊があるなら、リスペクトを覚えると言い換えてもいい。ともかく「皇帝」の勝手に始めた戦争に、戦意の乏しかった民衆が厳しい暮らしを強いられ、土壇場になって侵略と掠奪の意味を学ぶにしたがい、どんどん闘争心を燃え立たせていく。
民衆の抗戦意識の高まりに応え、戦う格好だけはつけながら困惑するのは政府の方だった。戦っているフリをしながら、いかに「やむを得ぬ」敗北という名の和平に持ち込むか。……なんとも奇妙な流れなのだ。
もっとも、戦争とはいかなる戦争であろうと究極のところいかがわしく奇妙なものかもしれない。だとすれば、戦争の持ついかがわしさ、奇妙な本質を浮き彫りにしていることにこそ、普仏戦争の歴史的な意味はあるとさえ思えてくる。……統治者が本当に恐れているのは、敵対する統治者であるよりもまず、自らの足許にある被統治者、民衆であるという……。
プロシアとの休戦を急ぐ政府と、あくまで戦い抜こうとする民衆と。日を重ねるごとに、その間に抜き差しならぬ対立は高まっていく。(つづく)
150年の時空を超えて〈中〉「丘の上から」
150年の時空を超えて〈下〉「さくらんぼの実る頃」
おおしま 伸 (おおしま・しん)
〈遊歩舎 ー懐かしさの首府パリ、記憶を旅するー〉を、大島ちえこさんと主宰。パリの暮らしや、歴史、散策などをテーマにしたエッセイを発表。著書に、第三共和制のパリで起こる事件を新聞記者エドモン・ド・ランベールが取材する小説『黄昏はゆるやかに 十九世紀末パリ事件簿』シリーズ全5巻などがある。yuhosha.com