フロベールの傑作『ブヴァールとペキュシェ』(1881年)の主人公ふたり組は、ノルマンディー地方の農園を手に入れると、夢中になって野菜や果物の栽培に打ち込む。フロベール自身も農業に対する憧れがあったのか、皮肉たっぷりの著書『紋切型辞典』の「農業」の項目には「国家の乳房。奨励すべし。人手不足」などと書いている。
どこか子どものように農作業に夢中になったブヴァールとペキュシェは、11月になると、当然のようにシードルの醸造に手をつけることに。スペインのバスク地方からやってきたというこのリンゴ酒は、ご存じのように、ブルターニュ地方やピカルディー地方でも作られているけれど、フランスでの本家本元はノルマンディー地方とされている。「馬に鞭をくれるのはブヴァールの役、ペキュシェは桶のふちにのっかって、林檎の搾り滓をシャベルで掻きまぜるのだ。彼等は捻子(ねじ)を締めながら息を切らせ、柄杓で桶から樽へ詰めかえたり、樽の栓に念を入れたり、重い木靴をつっかけながら、すっかり興に乗っていた」。(鈴木健郎訳)
再び『紋切型辞典』をひもとくと、シードルの項には「歯を悪くする」とある。いかにもそっけないけれど、ビールの「飲んではいけない。風邪をひく」に比べたらまだまし? シードルに飽き足らないブヴァールとペキュシェは、今までになかったようなリキュールを造ろうと決める。手作りのマラガ酒を 「天草のシロップ」などと農夫に言われたのにもめげることなく、果敢に製造に取り組むふたり……。ところが、せっかく苦心して集めた香り高く貴重なハーブの数々とアルコールが入った蒸留器は、見るも無残に破裂してしまうのだった。(さ)