『リスボン、黒い町で(仮題) 』
Lisbonne,dans la ville noire
ジャン=イヴ・ルード著 / Actes Sud 刊
「白い町」と「黒い町」。
だいぶ前に出版されたものだけれど、この連載にぴったりなテーマを扱った本作を新年の幕開けに紹介したい。
ポルトガルの首都・リスボン。大西洋に続くテージョ川を起点として起伏の激しい土地につくられたこの街は、太陽の光を浴びた家々の白壁が青空と織り成すコントラストの美しさから「白い町」という愛称を持つ。急な坂道と狭い路地だらけの街中に建物と人々がひしめきあい、散歩するだけでも十分に楽しめる観光地として人気の高い場所だ。けれども、ただ歩いただけでは知れないこともある。アラン・タネール監督の映画をもじった「黒い町で」という示唆的な書名を持つこの本は、地元の人々にさえほとんど知られていない町の歴史、すなわちアフリカ、とりわけポルトガルがかつて支配していた旧植民地からそこにやって来た人々の生きた軌跡を辿っている。単なる旅行記では終わらない、情報の質と量において非常に貴重な資料である。
奴隷制から植民地主義へ。
ポルトガルとアフリカの繋がりは奴隷制の時代に遡る。1441年に初めてその国に西アフリカからの奴隷が上陸し、その4年後にはリスボンで初の奴隷の競売が行われている。しかしリスボンの街を歩いてみて気づくのは、400年以上続いた奴隷制の歴史の痕跡がほぼ消え失せているということだ。この歴史を記念するモニュメントを2019年に建設することが公表されたが、裏を返せばそれまでこの街にはその類いのものが一切なかったということである。例えば同様に奴隷貿易の主要な港を持ったボルドー市と比べてみれば(本紙803号参照)、リスボンがなぜこんなにも沈黙し続けたのか不思議に思われるだろう。
もう一つの繋がりは植民地主義に由来する。旧植民地であるカーボ・ヴェルデ、アンゴラ、ギニア・ビサウ、モザンビーク、サントメ・プリンシぺからの移民は独立後の80年代から増加し、現在ではリスボン人口の10%を占めると言われている。リスボンの街づくりに古くから貢献してきた彼らは、最近でこそその文化的な意味での貢献(料理や音楽など)が認められつつあるが、いまだに日常的な人種差別に曝(さら)され、街の一角や郊外で目立たないように暮らしている。
リスボン、混ざり合う街。
著者はアフリカ、とくにカーボ・ヴェルデについては造詣が深い。その博識と機知を駆使して彼は様々な人々と打ち解け、会話し、いくつもの幸運な偶然から情報を手に入れ、謎解きする探偵のように隠された歴史をひも解いてゆく。その過程は驚くべき発見の連続で、音楽や料理への愛情ある描写も挟みつつ、読者を飽きさせない。相手の職種も出身も様々である。ジャーナリスト、ラッパー、舞踏家、魚売り、歌手、靴磨き、カフェの客…。彼らの複数の視点から、「純粋な」ポルトガルのイメージを護りたい人には見えない人種や文化が混ざり合ったコスモポリタンな街の姿が見えてくる。しかもそれは最近始まったことでもないのである。
例えばポルトガルの伝統的な民衆音楽として知られるファド。この音楽の由来は、19世紀初めブラジルからリスボンに連れてこられた人々の出自であったアンゴラの舞踏「ランドゥ」にあると言われている。これは一例に過ぎないが、大西洋を越えた歴史はこうした形で現在に息づいているのだ。目を凝らせば、実はその断片は街のあちこちに散らばっている。もしリスボンに行く機会があるなら、それを探してみるのも楽しいかもしれない。街のより奥深い豊かさを知ることになるはずだ。(須)
ジャン=イヴ・ルード
1950年リヨンに生まれる。民族学者として多数の著作があるが、なかでも今回の本と関連深いものとして『カーボ・ヴェルデ、大西洋のノート』(1997年)などがある。