『 黄金時代(仮題) 』
L’âge d’or
ディアヌ・マズルーム著 / JCLattès刊
ベイルート、「黄金時代」から内戦へ。
1960年代後半、浜辺で踊る日焼けした若者たち。音楽はロック。ズボンはベルボトム。ベイルートには、そんな風景を見られる時代が確かにあった。しかしこの「黄金時代」はいつしか混迷を極めたレバノン内戦(1975〜90年)へ場を譲ることになる。
本作が語るのは1967〜79年、「中東のパリ」とまで称された街ベイルートが内戦に突入し瓦礫の山と化していくその過程である。平和的中立国だった国に、なぜ戦争が起きたのか?著者を三年に及ぶこの歴史の研究へと向かわせたのは、76年に内戦からパリに逃れた彼女の両親だった。
「両親は他所での生活を築くために何とかしました。そして私たち姉妹に、ありうる最上の生活の一つを与えてくれたのですが、それは憂鬱と、亡命や彼らの失われた楽園がもたらす傷を抱えながらのことでした」と彼女は言う。
失われたものへの悲しみと郷愁、これが作品に流れるテーマだ。
パレスチナ人とミス・ユニバース。
世界大戦後のレバノンの歴史は目まいがするほど複雑である。かつてベイルートは複数の宗教が同居するコスモポリタン都市として栄えたが、1970年の黒い9月事件でヨルダンからPLO(パレスチナ解放機構)が追放され、多数のパレスチナ難民がそこに流入してから事態が変わる。
レバノン政府によるPLOの承認はイスラエルとの緊張関係を生む一方で、国内で多数を占めるキリスト教マロン派の人たちの反発を招いた。このパレスチナ難民とキリスト教徒との間の対立は次第に、一方にパレスチナ人を含むイスラム教徒、他方にキリスト教極右勢力という宗教間対立の様相を帯びるようになり、両者の緊張がピークに達した75年、凄惨な内戦へと発展していくことになる。
この歴史を読み解く鍵として、著者は実在の人物を物語の中心に据えた。一人はアリー・ハサン・サラーマ。パレスチナ解放運動の指導者ヤセル・アラファトの右腕で、72年ミュンヘンオリンピック事件の首謀者としてイスラエルの諜報機関モサドの第一の標的とされた。
もう一人は彼の妻ジョルジーナ・リザーク、ミス・ユニバースに選ばれた国民的スター。この大物カップルは、著者によれば「当時のレバノンを特徴付けていた多様性、異種混淆性、すべての矛盾を体現していた」。実際、パレスチナ人ムスリムと、政治に無頓着なキリスト教徒でできたこの組み合わせは、宗教によって文字どおり二つに分断された街(東西に住み分けられ、一方は他方の市民を頻繁に誘拐・殺害した)において、一種の融合のシンボルとなったのである。
レバノン、瓦礫の国。
しかし物語のなかで特に目を引く人物は、ジョルジーナの最初の恋人ロランの弟、ミッキーだ。早熟の子供で、5歳の頃からレバノンの専門家となることを夢見る彼は、強迫観念のように、その国に関するものならどんな些細なものでも収集し記述するという習慣を持っていた。
「彼はノートに殴り書きし、彼のレバノンを描くための言葉を夢中で探し、それをいくつかの文章に収め、カプセルに入れ、誰の手も届かず頑丈で水も通さない箱に入れて保護するのだ。急げ、急げ、国が消える前に、誰もそれがわからなくなる前に、みながそれを忘れてしまう前に」。歴史の証言者の役を担う彼は「私の分身です」と著者は言う。
とりわけ印象的なのは、彼が10年以上書き溜めたノートを読み返し、過去へ戻る希望を失ってむせび泣く最後の場面だ。「彼の国に大量の涙が流れる。レバノンが何の役に立つのか、世界に何か与えられるものがあるか?鼻をすすりながら彼は繰り返す。(…)一番のレバノン専門家になりたかったら、瓦礫の山の専門家になれ!それが手に入らないというなら、燃えるがいい!」。好奇心旺盛な子供の純粋さはこうして戦争の只中で失われる。
「黄金時代」が若者の無垢にあったとすれば、この場面はまさしく、一時代の終わりを意味しているのだろう。(須)
ディアーヌ・マズルーム
内戦を逃れたレバノン人両親のもと1980年パリに生まれ、ローマで育つ。2001年から3年間ベイルートの大学で美術とデザインを学ぶ。2014年、最初の小説『ベイルート、夜』を発表。