Q:まずお名前を、間違えないように。内藤未央さんですね?
内藤:はい。
Q:生年月日は?
内藤:1986年7月1日です。今ちょうど30歳です。
Q:ではいろいろ質問させていただくかと思いますが、答えたくないことがあればおっしゃってください。
内藤:緊張します。
Q:えー本当ですか?緊張しちゃうんだったら、音楽でもかけましょうか?(笑)
内藤:いえ、大丈夫です。
Q:まず、ルーアンにいらしたのには何か理由があったんですか?
内藤:理由は、うちの主人の仕事の関係です。
Q:結婚されたのはいつですか?
内藤:4年、5年前かな。
Q:旦那さんはフランス人?
内藤:そうです。2年ぐらいパリで暮らして働いていたんですけど、その間に2回ひったくりと電車の中で催涙ガスをかけられるという事件にあって
Q:パリで?
内藤:そうです。2回もそんな目にあったので、パリから出て行こうということになりました。1度はカバンをひったくられ、もう1度は催涙ガスをかけられて携帯を取られそうになって、2度目に「ここは私の住む街じゃない」と思ってパリを出ました。そのあとたどり着いたのがカーンでしたが、主人がカーンで仕事がみつからなくてそれやったら他で探そう、とみつかったのがルーアンの近くだったのでじゃあルーアンに引っ越そう、と。
Q:旦那さんの職業は?
内藤:パリにいた頃はアニメ関係の仕事で、今はグラフィックデザインをしています。映画とかアニメのグッズのデザインをする仕事です。
Q:知り合ったのはパリですか?
内藤:インターネットで知り合いました。
Q:インターネット?
内藤:「私は日本語がしゃべれて、フランス語をしゃべれる人を探しています」というような告知をしてマッチする人が見つかる、というようなサイトで知り合いました。
Q:アニメの仕事をしていた彼はやっぱり日本に興味があったんですね?
内藤:アニメからというよりも日本がそもそも好きだったみたいです。
Q: それで意気投合した?
内藤:まあ、そんな感じです。
Q:じゃあ道端でばったり会ったとか、カフェの鏡の中で視線を交わして一目惚れとか
内藤:そんなにロマンチックじゃなくて(笑)。パリにいると、フランス語ができなくても日本人の中で生活ができるじゃないですか。だから無理矢理フランス人に出会わないと、と思いました。
Q:パリにいた時には結構日本人の中に?
内藤:働いていたお店に日本人が結構いましたから、その友達の友達というような日本人の知り合いはいたと思います。
Q:フランスにいらしたのはいつですか?
内藤:2009年かな。
Q:その前は?
内藤:出身地の奈良です。奈良で生まれ育って、学校から大阪に行って、大阪で就職をしてそのあと奈良に戻って働きました。
Q:大阪の学校は、たとえば辻調?
内藤:調理師学校ではなくて、短大の製菓コースでした。一応勉強もしてほしい、みたいな方針の学校です。最近ちょこちょこあるみたいです。2年間でちょっとした礼儀作法とか一般常識などを習いつつ製菓の勉強もする。
Q:今どき花嫁修業じゃないですよね。(笑)
内藤:ちょっとそういう感じでしたね。
Q:でも製菓コースを選んだ、ということはもともとお菓子作りが好きだった?
内藤:そうですね。製菓コースと調理師コースがあって、どちらにしようかと悩んだんですけれど、やっぱりお菓子の方が好きやし、学校に見学に行った時に調理師コースで牛の目を解剖していて「これは私にはできない!」と。(笑)
Q:牛の目を解剖を見てしまった?
内藤:見た、というか張り紙がしてあったんです。それを見て「私にはできない」と思いました。鶏の頭を切るのも無理や!と。なのでお菓子に。もともとお菓子が好きだったということはあったんですけれど、やっぱりショッキングでしたね。調理師になるってそういうこともせなあかんのか、と。
Q:まあ肉を捌くのも一種の解剖だし。
内藤:フランスでは特にですよね。別にお菓子の世界が華やかだと思っているわけではないですけどね、やっぱりお菓子を選んだという感じです。
Q:家でもお菓子を作っていた?
内藤:作ってましたね。母が好きで、毎年の誕生日には自分の好きなケーキを選んで、少ないレパートリーの中からですが、母に作ってもらう。3時のおやつは母が作る。
Q:マドレーヌとか?
内藤:そうです。お友達の誕生日会があると母がお菓子を作ってもたせてくれる。
Q:ちなみにご兄弟は?
内藤:4人兄弟です。
Q:その中で?
内藤:3番目です。女、男、女、女です。
Q:他の3人はみなさん日本ですか?
内藤:今は日本ですけれど、姉はフランスに留学していたことがあって、妹は中国へ行ったり台湾へ行ったりした後日本に戻ってきました。
Q:するとみんな割に外へ目が向いていた?
内藤:そうですね。
Q:ご両親が外国と仕事をしていたとか?
内藤:全然ないです。
Q:お菓子を選ぶ前からご自分でもお菓子を作っていた?
内藤:そうですね。小学生ぐらいから教えてもらったり本を見たりしながら。本がいっぱいあったんですよ。「きょうの料理」のお菓子特集とか、主婦向けの雑誌とか、母は料理の本よりもお菓子の本をいっぱい持っていました、今思えば。シュークリームを作ってくれたり、「クロワッサンを作ってみよう」って一緒に作ったりしていました。新しいことは何でもやってみたい、という人でしたね。
Q:でも作ってくれたのは大福でもおはぎでもなかった。
内藤:行事の時にお餅をついたりはしてくれましたけれど、基本的には新しいもの、洋菓子でした。
Q:お餅は杵と臼で?
内藤:5年に一度ぐらいはそうでした。あとは基本的に餅つき機で、パンも捏ねられるというものでした。パンに凝っていた時期もあって、いろいろ作ってました。
Q:私の母もパン作りに凝った時期があって、ただ私の子供時代には機械なんかなくて
内藤:手で?
Q:そう。それで発酵させるためにタッパーに入れてコタツの中に入れる。
内藤:わー。
Q:今思うと原始的なことをしていましたね。そのあとソーセージを入れたり
内藤:そうそう、ソーセージとか、母は玉ねぎとマヨネーズを混ぜたものを入れたものもよく作っていました。
Q:美味しそう。うちはシナモンロールっていうシナモンとお砂糖を混ぜたものを生地に練り込んでいました。まあ、そういう記憶っていうのは残りますよね。
内藤:そうそう。ケーキ作りも手伝いたいじゃないですか。そうしてどんどん自分でも作るようになった。でも兄弟4人もいるのになぜ私だけそうなったのかな?
Q:お姉さんも妹さんも興味なし?
内藤:全然ないですね。まあ自分の子供たちには作っているみたいですけどね。特に好きだというわけではないと思います。
Q:お母様は未央さんがお菓子の職人になったのが嬉しかったんじゃないですか?
内藤:いやあ、どうなんですかね。嬉しいのかな?あまり関心ないんじゃないかと思います。やりたいことをすればいい、と昔から言われてきましたから。好きなことをやっていい代わりに私は手助けしないよ、だから自分の道は自分で切り開きなさいという感じです。
Q:あなたのために私はレールを敷かない、と。
内藤:そう、自分でやりたいことがあるんやったら自分でやりなさい、って。
Q:それは正しい。話を戻しましょう。大阪の短大を出てからは?
内藤:学生時代に就職するつもりで大阪のケーキ屋さんでアルバイトを始めましたが、結局辞めて奈良のレストランに入りました。
Q:フレンチ?
内藤:フレンチ、と言っても日本で考えられている「フレンチ」です。
Q:そこで誰かの下についてデザートを?
内藤:いきなり自分で作ったんです。お店には「こういうのを出してね」というようなベースがありました。簡単なタルトにアイスクリームを添えるという感じです。そのベースを少しずつ変えながら、自分の好きなようにではないけれどもチーフと相談しながら徐々に作れるようになっていきました。
L’ODAS (内藤さんがパティシエとして働くお店)
Adresse : Passage Maurice Lenfant, 76000 RouenTEL : 02.3573.8324
URL : www.lodas.fr