「今の日本建築〈現象〉は、日仏建築交流150年の成果。」
日本とフランス共同で計画された70件のプロジェクトが、50点の模型、クロッキー、アーカイブ資料や映像などとともに紹介される「パリの日本建築」展。150年の日仏建築交流史を総括的に扱う展示は初めてだ。建築家・都市計画家で同展示キュレーターの、アンドレアス・コフラー氏に話を聞いた。
「多くの日本の建築家がパリで活躍する〈現象〉をテーマに展示をしようと時代をさかのぼってみたら、ル・コルビュジエのスタジオにたどり着きました」。1920〜30年代に坂倉準三と前川國男は、パリでル・コルビュジエに師事した。「当時、日本の建築家がモダニズム建築に強い関心を持ったのは、日本の伝統建築との間の一種の互換性もあると思います。畳はル・コルビュジエが提唱したモデュロール、紙はガラス、木は鉄と置き換えることが可能です」。
坂倉と前川は、同スタジオのシャルロット・ペリアンと仲がよく、彼女を1940年日本に招く。ル・コルビュジエは55年に国立西洋美術館の基本設計のために日本を訪れ、弟子の坂倉と前川、吉阪隆正が実施設計した。ル・コルビュジエは夕食の席で坂倉に、友情を誓うメッセージを書いた貝殻を贈るなど建築を越えた交友関係があったという。
今の日本の建築家の活躍は、そうした交友関係の成果であると、コスラーさんは考える。そして「昔は日本人がル・コルビュジエのもとに勉強しにきましたが、今はフランスの若者が伊東豊雄や藤本壮介のもとへ研修しに日本へ行く時代」。
1980年代までは日仏共同の建築プロジェクトはあまり見られなかったが、展覧会や講演を通しての交流は行われていた。象徴的なのが、1978年パリ装飾美術館で開かれた磯崎新の「間」展。フランスに〈第2のジャポニズム〉をおこし、日本から帰国間もないミシェル・フーコー、ロラン・バルトがこの展示に関する文章を書いたという。
「フランスと日本は、料理、モード、建築などに、同じように大きな関心を持っています。そして、その分野でお互いのやることを尊重しつつ影響を与え合っている」と、日仏の相関関係を位置付ける。
今、フランスで日本の建築家が評価される理由としては、フランスと違った素材の使い方を挙げる。「例えばガラス。サマリテーヌの設計で、SANAAは外壁をカーテンのように波打たせたガラスで覆いました。透明感や軽量感を持たせ、周囲の歴史的建築物を映り込ませる繊細な表現を試みたのです。坂茂の紙管を使った建築などもパリジャンの記憶に鮮明に焼き付いています」。
そして大胆さ。ラディカルな建築案をさらりと作ってしまう。フランスでは厳しい規制と、建造物の寿命を数百年(どころか永遠)と考える基盤から、日本のような実験的な建造物を実現させるのは難しいが、「伊東豊雄のコニャック・ジェイ病院案も周囲の住民の反対に合いながらも実現された結果、新しい建築をパリにもたらしました」。そんな新しさをもたらすことを期待され、かつ、巨大都市設計の先達者として首都圏拡大グラン・パリ計画などに起用されているという。
ポンピドゥ・センターやミッテラン大統領のパリ大改造計画など、主だったコンペには多くの日本の建築家が参加してきた。それらの実現されなかった設計案も本展では公開される。日本開国時の茶屋、モダニズム、ブルータリズム、メタボリズム、ポストモダン、そして2000年以降の建築と、パリにいながらにして、日本の日本建築史をたどることができる展覧会だ。(浦)
L’Architecture japonaise à Paris
《パリの日本建築 1867- 2017》 9/24迄
Pavillon de l’Arsenal 21 bd Morland 4e
01.4276.3397
入場無料。説明はすべて日仏語。
火~日 11h–19h
*展覧会カタログ(日仏語)608ページ、39ユーロ。
アルスナル建築博物館刊。
*コフラーさんによる展覧会ツアー:
7/1、7/8、9/30。英仏語。無料。
要予約:infopa@pavillon-arsenal.com
アンドレアス・コフラーさん
Pavillon de l’Arsenal
Adresse : 21 Boulevard Morland, 75004 Paris , FranceTEL : 01 42 76 33 97
アクセス : Sully Morland
URL : http://www.pavillon-arsenal.com/
火〜日、11-19h