日本のアール・ ブリュットを紹介。

 

パトリック・ギゲールさん

 かつてビスケットメーカーLuの製造工場があり、町中を甘いバターの芳香が漂っていたという西部の町ナント。89年から、当時のジャン=マルク・エロー市長の指揮のもと、歴史ある港湾都市は文化都市へと舵を切る。

 クラシックの祭典ラ・フォルジュルネや都市型遊園地レ・マシン・ド・リルと同様、2000年に誕生した芸術複合施設リュー・ユニークもその潮流に乗り誕生。Luの工場跡は、劇場や展示エリア、書店を併せ持つ年中無休の文化スペースに改装され、市民の交流の場として支持を得ている。

 ここで現在、日本のアール・ブリュットを紹介する 「KOMOREBI」展( 「木漏れ日」の意)が開催中だ。スイス人のパトリック・ギゲール館長はフランス側のキュレーター。アール・ブリュットとは、「既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品」と言われるが、専門家の間でも定義は揺れている。本展示には42人の作家の約800点を選出。澤田真一、魲(すずき)万里絵らアール・ブリュット界の大物もいるが、約半分の作家は海外初出展。障害者の作品が大半だが、健常者の作品もある。あえて「障害者」の看板は強調せず、境界をぼかして見せるのだ。パトリックさんは語る。「リュー・ユニークが興味を持つのは、芸術の周縁部分。障害のあるなしに関わらず、審美的な視点で作品を選んだ」。

 展示の実現には、ある日本人との出会いがある。社会福祉法人グローの北岡賢剛さんだ。パトリックさんは11年前、アール・ブリュットの提唱者ジャン・デュビュッフェゆかりのローザンヌの地で、北岡さんと偶然知己を得た。当時パトリックさんはローザンヌから40キロ離れた町にあるSF関連の博物館のディレクターだった。以後北岡さんを介し、日本のアール・ブリュットの魅力を発見することに。

 2010年、リュー・ユニーク館長の公募があり、パトリックさんは立候補。採用されナントに移る。ここで実績を重ねた後、先鋭的な試みを実現できる同館で、日本のアール・ブリュットを紹介するイベントを、4年前から北岡さんと本格的に練り始める。日本に足繁く通ううちに、支援者も増えた。ジャン=マルク・エロー氏もスーパーバイザーに就任。東京オリンピック・パラリンピックの開催決定も追い風になった。最終的には美術作品の紹介のみならず、障害者の芸術を広く紹介する「2017 ジャパン×ナントプロジェクト」(10月19日〜25日)に発展した。演劇やダンス、郷土芸能の紹介、視覚・聴覚障害者のためのバリアフリー映画の上映、国際研究フォーラムを含むこの大イベントは、一週間で好評のうち幕を閉じたが、企画の核となる 「KOMOREBI」展は、来年の1月14日まで続く。

パトリックさんは、多くの市民から「知らなかった日本の素晴らしい芸術を見せてくれてメルシー」と声をかけられたという。

「日本のイメージはテクノロジーやサムライ、マンガと、まだ凝り固まっている。唯一無二の人々の芸術を通し、多面的な日本の姿を紹介できて嬉しい。新しい価値の提案を目指すリュー・ユニークの精神とも深く共振できました」。(瑞)

 

もはやナントの顔になった、文化複合施設リュー・ユニーク。
SNCFナント駅からすぐ。