ルソーの静かな食卓 〈4〉


 経済的な理由からカトリックへの改宗を決めたルソーが牧師から紹介されたのが、6歳年上のヴァラン夫人だった。世話係としてルソーの目の前に現れた、美しい目をした優美な女性。まるで女神のような彼女に言われるまま、1728年春、16歳に満たないルソーはサヴォワの首都トリノに向かった。そして、洗礼を受けた後もしばらくその地にとどまり、その夏には 『エミール』(1762年)に登場する司祭のモデルになる人物にも出会っている。

 伯爵や伯爵夫人の邸宅での勤務などさまざまな経験を経て、翌年アヌシーへ戻ったルソーは、憧れの女性ヴァラン夫人と一つ屋根の下で暮らすように。その古い家はトリノの邸宅のようなきらびやかさはないものの清潔に整えられていたし、なにより、夫人の人柄を表しているかのような品格を備えていた。贅沢な食器、ジビエ、外国産ワインはなくても、そこにはもてなしの心があった。「(夫人は)ファイヤンス陶器の茶碗で実においしいコーヒーをすすめてくれる。誰でも訪ねてくる人は、夫人が同席するか否かは別として、きっと食事のもてなしをうけた。職人でも飛脚でも通りがかりの人でも、何か食うか飲むかしないで出て行くことはない」。(桑原武夫訳)

 17世紀半ばに徐々にパリで飲まれはじめたコーヒー。18世紀のはじめにはフィルターでいれたコーヒーも登場し、カフェ文化も花開いた。パリ最古のカフェといわれる「プロコープ」や、ディドロやナポレオンも通ったという「カフェ・ド・ラ・レジャンス」をはじめ、ルソーもいくつかの文学カフェに足を運んだし、自宅でもお気に入りのポットでコーヒーを淹れては愛飲していた。ロマンチックなルソーのこと。コーヒーを飲みながら、愛しいヴァラン夫人を思い出すことも多々あっただろう。(さ)


 

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