世界中で有名な黒田アキ。こんなに短く狭いラウンジに座ってもらうには恐れ多いアーティストだ。1944年、京都に生まれた。祖父は室町で呉服屋を経営、父は経済学者、洋画家だった叔父(黒田重太郎 1887-1970)は、1914-18年パリに滞在し、日本にキュビスムを紹介した1人。黒田氏は3歳から油絵を描きなぐった。65年、パリに初めて滞在する。
パリの美術大学に入らなかったのですか?
最初の4日間行っただけです。70年に新たに来仏し10年くらいぶらぶらしていたので、もうそろそろ帰国しようかと思っていたところ、80年に友人の集まりで出会った人が、マーグ画廊主をアトリエに連れてきてその場で契約が成立。以来専属契約を結び35年続きました。私は制作する前に構想とかプロジェクトを立てるのが苦手で、最初に筆をとると、そのあと筆が止まらなくなるのです。80年代の西洋都市はまるでカオスそのものでした。そこからコスモガーデン、コスモジャングルが生まれました。何なのか識別するのが不可能な、そういう世界に、マルグリット・デュラスやヴィム・ヴェンダース、ミシェル・フーコーも惹かれたのでしょう。もっと広く分野を超えて、85年にマーグ出版から私が創刊した文芸誌『ノワズ』には、哲学者ミシェル・セールやジャック・デリダも寄稿してくれました。その他にも、境界線を無視したコラボが続きました。建築界(安藤忠雄とコラボ)、アヴィニョンの教皇庁で開かれる演劇祭や、各国のフェスティバルともコラボしてきました。
80年代以降の作品にみられる直線体は、長身のご自身を表しているのですか。
見る人の想像に任せています。自分も含め、世界に散らばっている日本人たちが西洋とイスラムの間のクッション役を果たせるかもしれません。私は日本が好きですが、日本の人たちが私に対して少し冷たいのは、外国に長く滞在しすぎているからでしょうか。浦島太郎になったとは思いませんが…。
最後に私生活についてちょっとお聞きします。
妻とは45年一緒ですが、彼女はクレルモン・フェランで画廊を経営しています。月の半分はパリに来ていますが、私の作品についてはとやかく言いません。