マクロン大統領は3月2日、アルジェリア戦争中の1957年に弁護士アリ・ブーメンジェル氏が仏軍によって殺害されたことを認め、この件でのフランス国家の責任を初めて明確に認めた。
アルジェリア民族解放戦線(FLN)と関係の深い同弁護士は1957年2月にアルジェで仏軍に逮捕・監禁された。仏公式文書では、3月23日に拘束中の建物の6階から飛び降り自殺したとされていた。だが、ポール・オサレス元仏軍将校が2001年に出版した回顧録で、同弁護士の拷問と殺害を命じたと発言。歴史学者バンジャマン・ストラ氏が1月20日に提出した「フランスとアルジェリアの記憶と和解に関する報告書」でも仏軍の同弁護士殺害を認めるよう提案しており、マクロン大統領はこれに従って和解への一歩を踏み出したことになる。
この大統領の姿勢はアルジェリアで好意的に受け止められたが、行方不明や殺害事件解明のため仏軍の文書開示を求める声が高い。マクロン大統領は就任前の2017年2月にアルジェで「植民地支配は反人道罪」「歴史を直視し謝罪すべき」と発言して仏国内で議論を呼んだ。18年には独立活動家モーリス・オーダン氏が仏軍の拷問により死亡したことを認め、責任の明確化が進んでいるように見えるが、最近は次期大統領選を意識してか歯切れが悪かった。ストラ報告書は歴史資料の共有、植民地時代についての歴史教育強化、アルジェリア人強制収容所のメモリアル化などを提案。謝罪よりも「記憶の和解」を進める姿勢に、アルジェリア政府は植民地犯罪の認識が欠如していると批判していた。
フランスが1830年から支配し始めたアルジェリアの独立戦争は国が独立賛成派と反対派に分かれて内戦の様相を呈し、テロの頻発で泥沼化。仏側で戦った「アルキ」は戦後アルジェリアで殺害され仏からも冷遇された。核実験被害者補償の道は2010年まで開かれず、2005年の仏人引揚者交付金法でも「北アフリカの仏植民地支配を肯定的に教える」ことが謳われた(同条項は1年後にデクレで廃止)。
カステックス首相は11月にイスラム過激主義に関する発言で「我々は自虐したり、植民地支配を後悔しなければならないのか!」と憤慨。ましてや右派や極右は「謝罪」や「改悛」を拒否し、この時代のフランスの責任を全く認めていない。初のアルジェリア戦争後生まれの大統領であるマクロンや国民の世代交代で歴史認識は変わっていくのか? 来年3月は戦争終結から60年だが、「記憶の和解」にはまだほど遠いように思える。(し)