オヴニー 40歳の社会見学。

オヴニーは今年で40歳?アラン(右)は、もうここに勤めて40年、熟練の職人だよ!と、ブライムさん。

 

ノルマンディーの印刷所へ。

 

 親愛なる読者の方々、広告・アノンスをお出し下さる方々、頼もしい寄稿者、様々な人たちのおかげで、オヴニーは今年、創刊40周年を迎えることができました。

 この機会に、普段はスタッフも見られれない舞台裏、とはいえ新聞づくりのひとつの〈要〉、ルマンディー地方にあるオヴニーの印刷所を表敬訪問。同時に印刷の現場を見学させてもらいました。ネット社会となった今日でも、この印刷所ではたくさんの紙媒体を、 24時間フル回転で印刷し、出荷しています。

 1974年、「在仏日本大使館にもなかった」と言われるほどフランスでは稀少だった日本語タイプライターを、日本からアートディレクターの堀内誠一さんに持って来ていただいて始まった、戦後初のパリの日本語ミニコミ新聞「いりふね・でふね」。これを母体として、「オヴニー」は、1979年に創刊されました。この印刷所で月に2回、毎号6万部を印刷しています。

 

「いりふね・でふね」から「オヴニー」へ。

 

和文タイプライター。

 オヴニーづくりは、創刊者ふたりのアパートの一室で始まりました。当時は版下を作って近所のオフセット印刷屋に持ち込み、製版と、A4一枚の 「いりふね・でふね」の印刷をやってもらっていました。モントルイユの蚤の市で英国製の印刷機を買い、それまでの1色から2色刷りに。その後、印刷の全行程を自分たちでやるため、オヴニーはパリ東郊の町の一軒家に居を構えました。その家の、元は馬肉屋さんだった部屋に製版機と印刷機を置き、冷蔵庫を現像室にし、スタッフを増やして家内制手工業的に刷り続けます。発行から11年目には、8ページからから12ページに増え、郊外の印刷所で輪転機で印刷を開始。4万5千部のうち2万部を日本で配布し始めました。

 「全く異質の文化を持つ人間同士が、よりよき友達になれるように作られた新聞社」というのは、松本猛さんが1976年に私たちの会社が出版した 「いりふねパリガイド」に寄せて下さった言葉です。いまだ、異文化の隣人と仲良くできない世界に生きながら、他文化に対して心を開きたくなるような内容の新聞にできたら、と日々思います。そして、《新しくなっていくパリ》をじっくり眺め、歩きながら作った新聞を読んだ人の目には、パリの町が 「黒ずんだ冷たい石造りの記念物ではなく、血の通った、灰色の中にもつきることのないニュアンスを持った、どこまでも人間らしい都市に」見えるような、そんな新聞にしたい、というのが、創刊者をはじめ、オヴニーに携わる人たちの気持ちの底にあると思います。

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