よむたび。〈7〉ヨーロッパ〜アフリカ〜カリブ海

『 ブリッジタワーのためのソナタ 』(仮題)
La Sonate à Bridgetower

著 エマニュエル・ドンガラ / Actes Sud 社

 

ベートーヴェンと「ムラート」の友。

 ドイツの音楽家、ベートーヴェンに「クロイツェル・ソナタ」という名で知られる楽曲がある。フランス人ヴァイオリニスト、ロドルフ・クロイツェルに捧げられた曲だが、そのクロイツェル自身がそれを演奏することはなかった。

実はこの曲、もともとは別の人物へ宛てて書かれたものだったのだ。その人物とは若きヴァイオリニスト、ジョージ・ブリッジタワーである。彼は当時の英国領バルバドス出身の父とポーランド人の母から生まれ、父が仕えていたハンガリーの貴族エステルハージ家で生まれ育ち、ハイドンによる音楽のエリート教育を受けたムラート(黒人と白人の混血)だった。

この人物がいかにして、かの大音楽家から曲を捧げられるまでの友人となり、後にその名が曲名からかき消され、そして忘却されたのか?この謎めいた音楽家の足跡を辿る小説が書かれたとなれば、クラシック音楽を好む好まざるに関わらず、歴史への好奇心からつい読みたくなってしまう。

パリ、ロンドン、そしてウィーンへ。。

 彼が生まれた地を離れ、音楽家としての未来を切り開くべく父に連れられて最初に着いた街がパリであった。当時9歳にして彼は貴族たちから喝采とともに受け入れられる。そこから華々しい音楽家生活が始まるかと思いきや、事態は急変する。彼らがいたのは1789年、革命前夜のパリだった。

貧窮から救われない政治に不満を持った民衆たちが今にも爆発しそうな雰囲気の中で、他所者である父子はこの歴史の大きな波を横目で見ながら、ヨーロッパの上流社会に入り込むことに成功する。しかしその栄光もつかの間、政治的混沌の中で自分たちの身に危険も感じた彼らは、逃げるようにパリを後にする…。

 次なる行き先であるロンドン(結局ジョージは生涯のほとんどをこの街で過ごす)で、またも王家の庇護を得ることに成功したジョージは、長期休暇を利用して音楽の街・ウィーンへと赴く。そこで彼が出会ったのが、規格外の音楽家ベートーヴェンであった。ジョージが彼の無二の友人となり、そこから一気に絶縁状態へと至るまで、物語の核となるこの友情の顛末についてはあまり詳しくは語らないでおこう。

ジョージ・ブリッジタワーと奴隷貿易。

 ところでジョージは、これが物語のもう一つの核なのだが、彼の出自と彼の生きた時代という偶然のために、当時のヨーロッパで大きな議論を呼んだ問題に直面する。奴隷貿易だ。西洋の上流社会で生きてきたジョージにとって、自身がムラートであることは気にもならなかった。

しかしヨーロッパ人となるように息子を育てた黒人である父は皮肉にも、英国で奴隷制反対論者となり国外追放となってしまう。当時幼かったジョージには父の振る舞いが理解できなかった。しかし時を経て、彼は父の苦悩が何であったかを知り、そしてジレンマに直面する。自身を庇護する王国への忠誠と、その王国によって虐げられる奴隷たちへの共感との間で…。

 これは喪失と孤独の物語である。父を、そして親しき人々を次々と失った喪失感の中で、彼は真の友を求めた。そんな時に出会ったのが、貴族にへつらわず自由な精神を持ったベートーヴェンだったのだ。彼との友情は厚いものとなり、それだけにいっそう、それが失われた時の彼の孤独と悲しみは深いものとなったのである。

 物語は最後、ジョージが部屋で一人、友が自身に捧げた曲を奏でる場面で幕を閉じる。そこにあるのは誰にも共有できない彼だけが抱える孤独だ。彼は何を思い、誰のために、その曲を弾いたのだろうか?そこに思いを馳せるとき、読者には苦い読後感が残る。(須)


©Cyrille Choupas

エマニュエル・ドンガラ
 1942年、コンゴ人の父と中央アフリカ人の母のもとコンゴ共和国に生まれる。アメリカに留学後、フランスで化学の博士号を取得し帰国。1997年、内戦を逃れアメリカに亡命、以降は同国の大学で教鞭をとる。