よむたび。〈26〉ヨーロッパ〜アフリカ〜カリブ海

『 来ては過ぎゆく日々(仮題) 』
Les jours viennent et passent

へムリ・ブーム著
Gallimard刊

2019年

カメルーン、過去と現在。

筆者はへムリ・ブームを前作『マキザール』で知った。フランスとの間で激しい闘いとなった植民地カメルーンの独立戦争は以前にも触れたことがあったが(N°874参照)、その本はこの出来事を女性たちの視点から語り直した画期的な作品で、その壮大な物語と巧みな展開に、一気に心奪われた。新作は植民地時代から現代へと時は移り変わっているものの、彼女は一貫して女性の立場からカメルーンの歴史を描いている。

母を亡くし、育ての親である農婦アワヤによってフランス人修道女たちへと教育を託されるアンナ。ある日、独立運動支持者で教養あるルイと出会い、望まれない妊娠が発覚したことにより結婚するも、ルイの重大な裏切りによって二人は決別する。その二人の娘アビはフランスで暮らし、彼女もまた一人の子を産むが、自身の浮気が原因で家庭は崩壊する。自慢の息子マックスは両親の不仲によって不安定となり、素行は荒れ、自傷行為に慰めを見出そうとする。

日常からのテロリズム。

物語が大きく動き出すのは、このマックスが落ち着きを取り戻すため、祖母アンナのもとへ、すなわちカメルーンの都市ドゥアラへと送り出されてからのことだ。というのも、彼は夏のヴァカンスで何度も訪れていたドゥアラに、かけがえのない親友を持っていたからである。ティナ、ジェニー、そしてイシュマエル。彼らは、界隈の誰しもが認める、いつも一緒の4人組だった。

長期の滞在を終えマックスがフランスへ帰国してから、4人の関係が崩れ出す。イシュマエルの兄によってイスラム教へとのめり込むジェニー。彼女を何としても取り戻そうと、自らも無理矢理にイスラム教へと改宗するティナ。二人を止めようとするイシュマエル。彼女たちは、特殊な家庭環境の中で孤独への恐怖を感じ、たとえその向かう先が地獄だと分かっていたとしても、どこまでも一緒にいようとしたのだ。実は、イシュマエルの兄はテロ組織ボコ・ハラムの一員としてジェニーを誘惑していたのである。女子学生の集団誘拐事件で、一躍、国際的に有名になったこの組織は、そのテロリズムの究極的手段として最も忌むべきものを使用していた。女性たちによる自爆テロである。志願者などそういるわけもない。多くの女性は、脅迫によってそれを強いられる。

死者の名。

なぜ彼女たちがテロリズムへと巻き込まれていったのか、なぜそのような地点まで行き着いてしまったのか。それは後半部、唯一の生き残りティナの証言を通じて知らされる。ティナにとって、重要なのはジェニーと一緒にいることで、宗教ではなかった。またジェニーを愛するがゆえに共にいることを決意したイシュマエルは、組織の人間によって怪物へと変えられてしまう。他に手段はなかったのか、読者は自問せざるをえない…。

これは他所で起きた出来事には違いない。けれども、現在のアンナは当時を振り返りながら、ジェニーとイシュマエルの死があのシャルリー・エブド社襲撃事件と同時に起きたという偶然についてこう回想する。「私は後に、シャルリー・エブドの襲撃を知り、全世界が喪に服しているのを見てめまいに襲われる。私たちはジェニーとシャルリーのために同時に泣きました。しかしなぜ私たちは、私たちの同胞のために泣くとき、こんなにも孤独なのでしょうか?」

同じ「テロ」事件でも、ヨーロッパでは「誰が」殺されたかが報じられ、アフリカでは「何人が」死んだかが報道される。しかし、当たり前だが、彼らにも一人一人名前があるのだ。だからアンナはこう述べる。「私はその人々すべてを名付けたかった。すべての人々を。男性、女性、子供、卑劣に殺された私たちの同胞。私はこの死者たちを、記憶のない私たちの国の底なし井戸にしまいこむのを受け入れられなかったのです」。名前が重要なのは、まさにこうした理由からなのだ。(須)

©ALEXANDRE ISARD

[著者]

へムリ・ブーム

1973年、カメルーンのドゥアラに生まれる。リールで貿易を学んだ後に帰国、現地での企業勤務を経て現在はパリ郊外で家族と暮らす。小説は今作で4作目となる。


 

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