マリー・アントワネットの靴(1792)
22.5cm。マリー・アントワネット王妃の絹の靴は、絶対王政の崩落を象徴する。1789年秋、民衆によりヴェルサイユからパリに連行された王族一家はチュイルリー宮殿に住まわされていた。91年6月には逃亡を試みるがヴァレンヌで捕まり連れ戻される。この靴は、92年8月10日、民衆が宮殿を襲撃し国王一家を捕えてタンプル塔へ幽閉する時に、王妃の足からもぎ取られたとされる靴だ。
またこの日、ルイ16世は、チュイルリー宮殿の護衛にあたっていたスイス傭兵隊に対し、直ちに武器を置き兵舎へ戻るよう勅令をしたためた。その書類も、王妃の靴のすぐ近くに展示されている。
レカミエ夫人の肖像(1802-1805)
フランソワ・ジェラールが肖像画を描いた時、ジュリエット・レカミエ(1777-1849)は20代後半。知性と妖しさをたたえ、サロンでの話術に長け、当時のモードを牽引した。そんな彼女にはかのナポレオン1世も魅了され、愛人になるよう迫るが断られる。結果ジュリエットはサロン開催を阻止され、パリを追われる身となる。スイスではプロシア王子との恋愛に落ちるが結ばれず、その後シャトーブリアンとの愛を死ぬまでまっとうした。
ルイ16世時代に生まれ、恐怖政治下で銀行家と結婚、第一共和制、第一帝政、王政復古を経て第二共和制で没する。波乱の真っただ中を生きた人だった。
マーモット少年の箱 (1840年頃)
ネズミとリスを掛け合わせて大きくしたようなマーモットは、世界の山岳地帯に生息する。車でフランスからイタリアへ移動する際など、仁王立ちする野生のマーモットに遭遇するかもしれない。彼らの祖先は19世紀のパリでも活躍していた。仏南東サヴォワ地方に住む子どもたちは、冬季に煙突掃除の仕事でパリに出稼ぎにやってきた。わずかな収入を補うために、道行く人にマーモットを見せ小銭を稼いだという。飼いならされたマーモットは笛の音でダンスもしたというからなかなか芸達者だったようだ。貧しい子どもたちを助けてくれたマーモットを入れる木の小箱もカルナヴァレのお宝である。
▶︎かの風刺画家ゆかりのもの、ミュシャがデザインした店、プルーストの部屋など(次ページ)。
Musée Carnavalet - Histoire de Paris
Adresse : 23 rue de Sévigné 3e , 75003 Paris , FranceTEL : 01.4459.5858
アクセス : M°Saint-Paul / Chemin Vert
URL : https://www.carnavalet.paris.fr/
月休、10h-18h、常設展無料。 要予約。