あまたの収蔵品が語る〈パリの物語〉。
先史から現代まで、時代順にならべられたカルナヴァレのコレクションから、象徴的なものをいくつか選んでご紹介。
新石器時代の舟 (B.C.2800-2500)
先史時代のパリジャンは、まずセーヌ川とマルヌ川が合流するあたりに定住したという。この舟は漁、狩猟や農耕で得た食料の運搬、また渡し舟として使われたもので一本のナラを石斧でくりぬいてある。パリ12区ベルシー地区の新開発工事で出土した。この舟と同時に10艘ほどが発見され、古いものは7千年前のもの。
同地区では住居跡も発見されている。考古学展示室は2000年に設けられたが、やはりオスマンのパリ大改造工事(左ページ参照)で出土したものは多く、コレクションは豊富。このリニューアルで初めて地下に展示室が設けられ、一般公開されることになった。
コルベール・ド・ヴィラセール館 (17世紀)
ミュージアムの展示方法として« period room »(仏語でも同じ)がある。ある時代の室内装飾を床から壁、天井まで当時のもので再現し、家具なども当時使われていたものか同時代の同じ町で製造されたものを置く。
実はこれはカルナヴァレ博物館が起源。ミュシャ宝飾店もその一例だ。写真は同館近くのチュレンヌ通り、コルベール・ド・ヴィラセール侯爵邸から「移植」されたもの。17世紀パリの貴族の館などではこのような絢爛な装飾を施した木板の壁が見られたというが、完全な形で残っているのは珍しい。コルベール侯爵はルイ14世の財務総監コルベールのいとこにあたる。
テニスコートの誓い (1791 – 1792)
フランス革命といえばバスティーユ牢獄襲撃がすぐ頭に浮かぶが、革命前夜の「テニスコート(球戯場)の誓い」も重要な出来事だ。1789年1月、ルイ16世が召集した三部会(聖職者、貴族、平民の3身分)は決議方法で3身分の意見が合わず、平民は三部会を離れ「国民議会」となる。しかし国王は彼らが議場を使うことを許さず、6月20日、国民議会は球戯場を議場とし「憲法を制定するまでは議会を解散しない」と誓った。
その後議会は封建制廃止、人権宣言を採択していく。しかし議長だったバイイは断頭台へと送られ、ジャック=ルイ・ダヴィッドはこの絵を未完成で残した。
▶︎世界でも有数のフランス革命期のコレクションから、マリー・アントワネットの靴も(次ページへ)。
Musée Carnavalet - Histoire de Paris
Adresse : 23 rue de Sévigné 3e , 75003 Paris , FranceTEL : 01.4459.5858
アクセス : M°Saint-Paul / Chemin Vert
URL : https://www.carnavalet.paris.fr/
月休、10h-18h、常設展無料。 要予約。