〈ルノワール効果〉でカーニュにアーティストが来た。
ルノワールが来たことで、カーニュにはアーティストや文化人が集まるようになった。1921年のインタビューで「私の師匠はセザンヌとルノワールだった」と打ち明けたマティスは、1917年末、ニース滞在中に初めてルノワールを訪ねた。ルノワールに見せられた作品に驚愕した、とマティスは妻への手紙に書いている。
1918年には画商のレオポルド・ズボロフスキーがモディリアーニ、妊娠中の彼の恋人ジャンヌ・エビュテルヌ、ジャンヌの母、ハイム・スーティン、藤田嗣治を連れてカーニュにやって来た。グリマルディ城美術館の裏には、スーティンが描いた階段が今もある。藤田が妻のフェルディナンド・バレーと滞在した家には、「藤田が滞在した家」というプレートがついている。モディリアーニは1919年、ルノワールが亡くなる数カ月前に、この巨匠に会いに再びカーニュに来ている。モディリアーニは、カーニュで彼にしては珍しい風景画を描いた。梅原龍三郎は1909年の初訪問後、恩師の死を知った後1921年に再訪している。梅原に続く世代の日本人画家たちもカーニュに魅せられた。その一人、三岸節子は、中世の町並みの階段を描いている。