19世紀フランス文学を代表する作家のひとりであるモーパッサンは、ノルマンディー地方の海沿いの村エトルタで4歳からの約3年間を過ごした。両親の絶え間ない喧嘩や父親の荒々しい態度に傷つけられる日々の中、漁師の子供たちとたわむれて海辺で過ごす時間は幸せそのものだった。
そんな背景も手伝ってか、成人して文壇で認められ、パリの華やかな社交界に迎えられてからも、モーパッサンは戸外で過ごす喜びを忘れることはなかった。
ノルマンディー地方出身の青年デュロワが主人公の小説『ベラミ』(1885年)には、パリの郊外を流れるセーヌ川を描写するこんな一節が出てくる。「太陽が、強烈な五月の太陽が、小舟の上と静かな河面に斜めの光を投げかけ、河はまるで、この夕陽の光と熱との下で凝結し、流れも止まり、波も立たず、じっと動かぬように見えた。」(杉 捷夫 訳)この時代の印象派画家たちは光と水に特別に注意を払ったが、作家であるモーパッサンは戸外の風景をこうやって言葉にして残した。
小説の中で、デュロワは妻に向かってこう続ける。「僕はパリの近郊が大好きです。うまい小魚のフライを食べた思い出は生涯でも一番楽しいものです」。
この「小魚のフライ」は川遊びの定番スナックだったようで、当時の他の作家の作品にもよく登場する。太陽の照りつける中、ボート遊びで疲れ果て、お腹がペコペコのところにかじる揚げたてのフライ……。さぞかし、美味しく感じられることだろう。
モーパッサンの作品には、水辺のもたらす平穏な幸せや刺激的な快楽が繰り返し登場する。晩年精神に異常をきたし入院することになったモーパッサンだったが、1890年に書いた最後の短編小説『蠅』(はえ)も、川遊びを楽しむ男たちの話だった。(さ)