「いつか白馬に乗った王子さまが迎えに来る」とひそかに夢見る女性は、過去 ・現在・未来を通して一定数いるように思う。19世紀のフランス文学にも、そんな夢見がちな女性たちの恋模様が細かに描かれている。
フロベールの名作『ボヴァリー夫人』(1857年)ヒロインのエマは、その典型的な例と言えるだろう。ノルマンディー地方の田舎医シャルルと結婚したエマ。知的で情熱的な男性を夢見ていたエマは、自らの夫に慣れ親しむにしたがって、そのあまりの平凡さに気がつき失望していく。それでも、はじめのうちはその中に幸せを見出し、奥さんごっこで退屈を紛らわした。「日曜日に近所の人を夕食によぶときは、ちゃんと気のきいた料理を出し、李(すもも)を葡萄の葉の上に形よくもりあげ、壺入りジャムを皿の上にあけてすすめた」。(生島遼一訳)
エマが気を配るのは料理だけではない。デザート用にと「Rince-bouche」(口ゆすぎ)を買いもとめ、「こんなことが亭主のボヴァリーへの尊敬を高めるに役だった」。
遺作になった『紋切型辞典』でフロベールはRince-boucheのことを「一家の富のサイン」と皮肉に定義しているけれど、こんなところにエマのぜいたく好きがにじみ出ている。
シャルルの母は、そんな嫁をどうにも好きになれず、「薪も砂糖もろーそくも《まるで御大家のような使いかた》だ」と憤慨している。でも、シャルルは若く美しいエマのブルジョワ趣味までも自慢に思い、鼻高々。エマが心の中で「美男で、才気があって、上品で、魅力がある」見知らぬ夫を探しているとはつゆ知らず、妻も自分と同じく幸せだと信じて疑うことがないのだった。(さ)