フロベールの 『ボヴァリー夫人』(1857年)のヒロインであるエマの夫は、シャルル・ボヴァリーという田舎医。エマとは再婚で、母親が選んできた前妻のエロイーズは精神的なショックが原因で急死している。この「器量はわるく、薪のようにひからびた」エロイーズは、あれこれ小言が多い上に妬み深く、診察所に女性患者が来ると中のようすを盗み聞きするような女性だった。「この奥さん、毎朝ショコラを飲みたがる。注文にはきりがない。しょっちゅう神経や胸の気分のぐちをいう。足音で気分がわるくなる」。(生島遼一訳)このマダム、シャルルとの結婚は2度目で、再婚時は45歳だった。
「どうせあたしは不幸な女だと前にもいわれた」と愚痴をこぼしながら、とろりとしたショコラを飲んで一日を始めるエロイーズ。一途な心はどこまでも純真。本人はいたってまじめに怒ったり悩んだりしているわけだけれど、その姿は切ないながらもユーモラスで、どこか『源氏物語』の末摘花を思わせる。
ところで、この時代にこんな風にショコラに夢中になったのはエロイーズだけではなかった。フロベールと同時代に活躍したアレクサンドル・デュマ、ジョルジュ・サンド、モーパッサン、ヴィクトル・ユゴーなどの文豪は、そろいもそろってこの飲み物を愛飲していた。19世紀の食の研究家ブリア・サヴァランも『美味礼賛』(1826年)に「入念に整えられたチョコレートは健康的かつ美味な食品であり、滋養があって消化もよい」と書き、「精神を緊張させる仕事、聖職者や弁護士の仕事に従事する者には最も適したもの」としている。かつて植物学者に「神々の飲料」とあがめられたショコラ。だまされたと思ってせっせと飲んでみたら、仕事や勉強の効率がぐーんと上がるかも?(さ)