他のメディアからは聞こえてこない声を聞く。
ボンディ・ブログ編集部に行ってみた。
ボンディには、エムバペの他にも、町の若い世代の活力を示す有名なものがある。Bondy Blog。市民ジャーナリズムの形態で、フリーランス記者、大学生などを中心に、郊外での日々の出来事や社会問題、政治のニュースなどを報じるウェブメディアだ。
毎週火曜の夜の編集会議を見学させてもらった。オーべルヴィリエの火災とその後、モントルイユ市長の国を相手どった裁判…15人ほどの記者がそれぞれ準備中の記事のプロジェクトを説明する。他の記者が意見を言い、編集長のナシラ・エル=モアデムさんが質問したり、取材のアングルや、関係者の連絡先を教えたりのアドバイス。2時間ほどのテンポの早い濃密な会議だ。2年前から編集長を務めるナシラさんは、グルノーブル政治学院とリール高等ジャーナリズム学校を卒業後、フランス2ほかテレビ局で経験を積み新聞にも寄稿している。
ボンディ・ブログの発足は2005年。俗にいう「郊外の暴動」の時だった。ボンディと同じセーヌ・サンドゥニ県のクリシー・ス・ボワ市で、警官の職務質問を避けようと少年ふたりが変電所に逃げ込んで感電死した事件と、その数日後、警察が誤って催涙弾を礼拝中のモスクに打ち込んだ事件をきっかけに、若者たちが蜂起。投石や車の放火による抗議がパリ郊外とフランス全国で3週間続いた。
その「暴動」を、スイスの週刊紙L’Hébdoの記者たちが3ヵ月間ボンディに滞在しながら取材したのが、ボンディ・ブログの始まりだ。2006年になって、ブログは地元ジャーナリストたちに託されたが、既存メディアが耳を傾けなかった、郊外の住民たちの声を社会に伝えることを主眼とする方針は変わっていない。
記者のジミーさん(写真中央)は2005年当時は13歳だった。「あの時、内相のニコラ・サルコジがやってきて一部住人を 《クズども》扱いしたことに傷ついた。一部の国民を卑下するのは共和国の精神に反している」。文学を学び、洋服屋で働くかたわら寄稿するようになって6年が経つ。
13年間、批判精神を持って取材を続けてきたこの市民メディアは、信頼性と影響力を得て、郊外の住民から大臣、大統領、エムバペまでを取材し、毎月メディア関係者を招いてアトリエを開いたり討論会も行う。ジャーナリズム学校に入学するための特別準備学級を設置するなど若者を養成し、地元社会にも貢献しているのだ。
Stade Leo Lagrange
Adresse : 60 avenue Pasteur , 93140 Bondy , Franceアクセス :
◎RER E Gare de Bondy
パリHaussmann Saint- Lazard駅やMagenta(北駅)からは20分ほど。
◎トラム
Bobigny-Pablo Picasso⑤番線の終着駅から、路面電車T4に乗り、 Pont de Bondy下車。