イタリア映画の中でも、そして女性監督の中でも、現在、群を抜く才能の持ち主、それがアリーチェ・ロルヴァケル。社会風刺も辞さないが、その実、本人の人柄の反映か、自らのルーツである田舎の普通の人々に注ぐ視線が、ほんわりと温かい。前作『夏をゆく人々』と同様に、今回もイタリアの集落が舞台である。
ここは名もなき辺境の地。村人は言われるがまま、タバコ栽培に従事する。当地の侯爵夫人に搾取されているのだ。ラザロもまた、健気に働くひとり。彼こそ人を疑うことを知らぬ、善良さの塊のような青年。やがて、悪質な搾取は当局に暴かれ、村人たちは保護される。だが同じ頃、ラザロは崖から足を滑らせ、真っ逆さまに落下。これで彼の物語は終わりかと思えば、もちろん終わらない。彼は神に愛された存在だから。
中盤からは神秘的な展開へ。気がつくと時間軸は飛び、昔の仲間は年を取っている。でも瞳キラキラのラザロは昔のまま。いつも上機嫌で親切。とはいえ「頭がお花畑」というわけではなく、食べられる野草を教え、仲間を助ける博学さもある。しかし、彼の魂の尊さに気付ける人は、それほど多くはないようだ。
フィルム撮影(スーパー16)で、フェリーニやタヴィアーニ兄弟、パゾリーニら、往年のイタリア映画の記憶も滲む。ファンタジーなのに、地に足がついている。摩訶不思議なバランスの愛すべき傑作と呼びたい。ラザロが教会から追い出されると、パイプオルガンの音楽が彼を追うように飛んでゆくシーンは、これ以上ないほどにシンプルで詩的。これからも長く語り継がれそう。昨今はデジタル撮影をいいことにイメージ操作し、かえって想像力が枯渇した作品が多いが、CGの特殊効果に一切頼らぬ本作からは、全編にわたって想像力の羽ばたきが聞こえてくる。(瑞)