『 忘れられた人びとのラプソディ(仮題) 』
Rhapsodie des oubliés
ソフィア・アウイーヌ著
Éditions de La Martinière刊
2019年度〈フロール文学賞〉を受賞!
パリ18区、レオン通りから見える世界。
物語はこう始まる。「僕の通りは、ゴミ箱の匂いと共にこの世界の歴史を語る。それはレオン通りと言うのさ、善良なフランス人の名前だというのに、そこにはヨソ者と褐色顔の人たちしかいない」。語っているのは、レバノンからパリ18区へ両親と移住した13歳の少年アバド。この本は、彼が暮らすレオン通りから見える世界、アフリカからの移民たちが多く住む地域、すなわちバルベスそしてグット・ドール界隈の日常を描いた作品だ。
「ラプソディ」という語は、古代ギリシア語で「縫い合わせる」と「歌」を意味する二語の組み合わせに由来する。そのタイトルが示唆するように、アバドの物語は、その地区の多種多様な人々の人生を縫い合わせるように彼らと交わり、繋(つな)がり合う。皆からいじめられるモルドバ出身の同級生との密かな友情。第二次大戦で家族を失くしたユダヤ人精神科医との交流。カメルーンから子供を残し出稼ぎに来た売春婦との出会いと別れ。毎日の放課後、音楽を聴き本を読むために通い、いつしか第二の学校となった隣人の部屋…。それぞれに特異な人生を送る街の人々について、アバドは感情豊かに、テンポよく、そしてユーモアを交えて語ってくれる。「ここでは、君はパリにいて、でもパリにはいない。」そう皮肉まじりにアバドは言うが、地区のことを知らない人がこの小説を読めば、これがパリなのかと驚くに違いない。それほどに、その場所は街の内部にできた異世界であり、アバドのこれまたユーモラスな表現を借りるなら、「火星人たちの惑星」なのである。
小説と音楽。
ところで、この作品を語るうえで外せない一つの要素がある。音楽だ。物語中にも音楽好きの人物がアバドの隣人として登場するが、珍しいことに、この本の巻末には「忘れられた人びとのプレイリスト」と題された曲目リストが付けられているのである。そこには、アルジェリアにルーツを持つ著者らしく、シャアビの大歌手ダフマヌ・エル・ハラシなどの名も見られる。しかし最も多いのはアメリカのアーティストたちだ。この理由を、著者はあるインタビューの中で答えている。「私を作ったのはアルジェリア−カビルの祖先たちの音楽ではなく、アフリカ系アメリカ人たちの音楽でした。ソウル、ファンク、ヒップ・ホップ、そしてニュージャックスウィング。これらの音楽は”周縁部”について語っていました。私が、私の両親のものではないこの国のなかに自分がいると感じるその感じ方を、その音楽は物語っていたのです」。
忘れられた移民の記憶。
フランスにいた「移民二世」の若者たちは、こうしてアフリカ系アメリカ人たちが作った音楽を自分たちのためのものと考え、聞き、愛した。ダニー・ハサウェイの歌う「ゲットー」、これこそ自分たちの住むこの場所じゃないか、というように。いまや一大ジャンルとなったフランスのラップも、この時代に若者たちが経験したアメリカ音楽の洗礼なくしては生まれなかった。その意味で、この「プレイリスト」の中で最も重要な曲の一つは、アンダーグラウンド・ラップの雄「ラ・ルムール」が移民労働者たちへ捧げた讃歌、「トランクの擦り切れた革」だろう。アルジェリアとトーゴ出身の親を持つラッパー二人を中心としたこのグループは、その曲の中でこう歌っている。「それは片隅に置かれたトランク、そいつが自分は無駄になるため来たんじゃないと運命に訴え叫んでいる」。
「トランク」はもちろん移民労働者の象徴。このラップが音楽でしたこと、すなわち忘れられた移民の記憶を残そうとする一つの表現、言うなればそれを小説の形式で行ったのがこの本なのである。歌うような本。まさしく、「ラプソディ」の名にふさわしい作品だ。
[著者]
ソフィア・アウイーヌ
アルジェリア人の両親のもと、1978年パリ郊外オー・ド・セーヌ県に生まれる。2年間のラジオ局でのレポーター業を経て、本作で初めて小説を出版する。