映画業界誌の星取表でトップを独走し、誰もが受賞を信じた。2016年のカンヌ映画祭「裏・パルムドール(最高賞)」と呼べそうな映画『Toni Erdmann』。ドイツ人マレーン・アーデ監督の長編三作目だ。
現在39歳のアーデ監督は、ミゲル・ゴメス監督『アラビアン・ナイト』三部作(Ovni No789)のプロデューサーとしても一目置かれる映画人。カンヌでは監督と、主人公の父・娘を演じたペーター・シモニスチェク、サンドラ・フラーらが揃って会見に臨んだ。
本作は元ピアノ教師の父ヴィンフリート(シモニスチェク)が、ルーマニアに住む娘イネス(フラー)を訪ねる親子の再会の物語。「私は長い間、娘との関係を取り戻したいと願う父親を通し、家族や(家族の)異なるメンバーによって演じられる役割について語りたかったのです」と監督は語る。
だがこの親子、その性格は水と油だ。経営コンサルタントのイネスは無表情で冷静沈着。現地従業員のリストラを請け負う、完璧主義のビジネスウーマンである。一方の父ヴィンフリートはヒッピー文化の残り香を漂わせ、その風采は隙だらけ。おもちゃの手錠やブーブークッションなど、時代錯誤な悪戯の数々で娘の日常をかき乱す。この父親像は、監督の実父から影響を受けているという。「父はおどけ者で、悪戯のレパートリーをたくさん持っていました。私も若い頃、彼のユーモアが常に付きまとってきたのです」(監督)。
仕事で成功をおさめるイネスだが、60年代的なユートピアの残像を生きる父にとって、我が娘はどうも幸せそうには見えない。ふたりの間には世代と価値観の溝も横たわる。父を避けるイネスだが、めげぬ父はカツラや偽入れ歯を使った変装姿で、ビジネスマン「Mr.トニー・アードマン」を名乗り娘の仕事先に出没する。
そんな気まずさと滑稽さが入り交じった空気感を体現するのは、主に演劇界で活躍するシモニスチェクとフラーの俳優コンビ。「自分ではコミックの女優だと思ってなかったが、マレーンが私を面白くしてくれた。本作が素晴らしいのは、人々の当惑させる行動がかえって本当の安らぎになること」(フラー)。「これまでたくさんのコメディに出演したが、本作は全く別物。一週間前にスクリーンで見て、初めてコメディだと気がつきました(笑)」(シモニスチェク)。
たしかに不可思議なシチュエーションの数々に、笑うべきか、泣くべきか、それとも怒るべきか、もしや観客は戸惑うかも。だがその掴みどころのなさこそが大きな魅力。どこに辿り着くのかわからぬまま進む列車に似た本作は、まさに人生そのものの乗り心地。2時間42分の映画の長距離列車で、揺らめく親子の心の振動に身を任せてみよう。(瑞)8月17日公開