「フランスのイスラーム」を築くために。

シャルリ・エブド(2016-8-24) 「バカンス帰り、"しまった、戸棚にカマンベールを入れておいたのを忘れてた"」

シャルリ・エブド(2016-8-24)
「バカンス帰り、”しまった、戸棚にカマンベールを入れておいたのを忘れてた”」

7月、ニース海岸でのトラック暴走テロ(85人死亡)、ノルマンディーの教会での高齢神父の斬首テロと、〈イスラム国〉のジハーディスト戦士による新たなテロの刻印を押されたフランス。これ以上フランスを、蛮行を重ねるジハード(イスラム聖戦)の標的にしておくわけにはいかず、フランスの第二の宗教として「フランスのイスラーム」を築くことが緊急課題に。
8月1日、カズヌーヴ内相はフランス•イスラム事業団(Fondation des oeuvres de l’islam en France FOIF)の復活(10年前に設立)を発表した。その案は昨年のシャルリ•エブドのテロ事件以来、内務相が熟考してきたもの。FOIFの再起にいたるまでに10年の年月がかかっている。05年にCFCM(ムスリム宗教仏評議会)への資金援助が試みられたが、1905年ライシテ法(正教分離法)が宗教団体へ国家の介入を禁止していることと、ムスリム社会の派閥やライバル関係、70年代以降、とくにモロッコやアルジェリア、トルコ、サウジアラビアなどから派遣されてくるヒモつきのイマーム(指導師)らの対立により暗礁にのりあげていた。
「フランスのイスラーム」を築くにあたって、地方自治体がモスクの建設や運営費用、イマームの給与を払うわけにはいかない。そこでFOIFの下で活動する複数の文化協会をとおして個人や民間企業の寄付金によれば問題はないとみなす。またハラール肉(イスラム法認可肉)に課税したらどうかという案も。しかしハラール肉の監督はパリのグラン•モスケとリヨン、エヴリーのモスクが取り仕切っている。
全国に礼拝所が2300カ所あり、1500~1800人のイマームのほとんどは何かしらの職業を持ち、独学のボランティア指導者が多くモスクのアソシエーションからいくばくかの説教料を受けているにすぎない。現在フランスには約300人の外国人イマームがおり、モロッコから30人、アルジェリア120人、トルコから150 人が派遣されてきている。しかし彼らはフランス語を話さず、アラビア語の説教ではフランスで生まれ育った若者にはチンプンカンプン。ウェブで「イスラム国」の仏語版プロパガンダで洗脳されてシリアに向かうジハーディスト症候群の生まれる背景には、現実と遊離したモスク、イマームの役割が軽視されてきたのは否まれない。いまこそフランス共和国の中で「フランスのイスラーム」が育っていくべきなのだろう。
FOIF活性化の目的の一つは、60年代以降アラブ諸国から派遣されてきているイマームの受け入れをストップさせることと、今後フランス人イマームの養成が緊急課題であり、大学にフランス語必須の公民学科ディプロムをイマーム志願者に課する方針だ。パリ郊外セヴランの分校に毎朝フランス語を学びに行くあるイマームはル•パリジャン紙(16-5-29)のインタビューで「フランス語によって自由が得られ、フランス語を話すことによって社会への窓が開かれた。ライシテのおかげで私たちムスリムもフランスで暮らせることが分かりました」。
「フランスのイスラーム」を築くためにはその頂点に立つ人が必要だ。そこで抜擢されたのはJ.P.シュヴェヌマン元内相(77)。彼は91年湾岸戦争への仏軍派兵に反対し、国防相を辞任しており、中東諸国からは好感を持たれている。97年内相時代に彼が言った言葉「共和制の中にイスラームは加わることができる。それはムスリムにとっての権利であり、現代のイスラームを我が国に息づかせることはムスリムにとってもフランスにとっても一つのチャンスなのである」。
1798〜1801年、ナポレオンがエジプトを占領したとき、モスクの指導師を集め「あなた方の国は偉大な文明国でしたが、いまは何もない。何が残っていますか?」と言ったのに対して、カイロの長老指導師が「われわれにはコーランがあります」と答えたというエピソードはあまりにも有名だ。