詩人アンドレ・ブルトンが1924年に「シュルレアリスム宣言」を発表してから100年。この秋から来年にかけては、パリをはじめ世界でこの芸術運動についての大展覧会が開催される。シュルレアリスムは文学、美術、映像を通して、パリから世界中に広がった20世紀最大の芸術運動だ。「理性」に背を向け、フロイトの精神分析の影響も受けながら、無意識を探求することで完全に自由な表現を得ようとした。詩人アルテュール・ランボーの言葉「人生を変える」と、カール・マルクスが言った「世界を変革する」の両方を軸に、個人と集団両方の変革をめざした。そのため、メンバーは芸術家として政治的にもコミットしている。
1870年、無名のまま没したロートレアモン伯爵(イジドール・デュカス)の詩「マルドロールの歌」は、シュルレアリスムを創始する前の若き詩人3人組ブルトン、フィリップ・スーポー、ルイ・アラゴンに愛された。その一節、「解剖台の上での、ミシンと雨傘との偶発的な出会い」は、全く関係のないものの結びつきを表すものとして、シュルレアリスムを象徴する言葉となった。
ポンピドゥ・センターほか、多くのギャラリーもシュルレアリスム展に沸くこの秋★、謎めいて魅惑的な芸術の世界を発見しに行こう。
★展覧会とギャラリー情報は近日公開!
シュルレアリストたちの20世紀。
戦争への怒りから始まったシュルレアリスム
シュルレアリスムが興った背景には、第一次世界大戦がある。アンドレ・ブルトン(1896-1966)は動員された医学生で、フロイトの精神分析を読み始めていた。研修先の病院で、戦争体験から心を病んだ兵士たちに接しショックを受けると同時に、彼らの「狂気」の中に創造の可能性を見た。 1918年には、やはり医学生として動員されたルイ・アラゴン(1897-1982)と病院で知り合い、詩の好みが共通することから親交が始まった。前年には同世代の詩人フィリップ・スーポー(1897-1990)と出会い、スーポーから詩人アポリネールを紹介された。従軍したブルトン、アラゴン、スーポーの3人は、文学界の重鎮で愛国者のモーリス・バレスらが鼓舞した戦争で多くの人が酷い目にあい、にもかかわらず、これらの古株が文学界に君臨していることに憤慨し、文学に革命を起こそうと考えた。1919年、3人は文芸雑誌「文学」を創刊。また同年、スーポーとブルトンは自動記述の書『磁場』を共著し、翌年、出版した。
ダダとの出会いと訣別
シュルレアリストとなる前、彼らは「ダダイスト」だった。ダダイスムは、第一次大戦中の1916年、スイスのチューリヒで生まれた、あらゆる既成の価値観を破壊し、無意味、非合理などを表現する前衛芸術運動だった。スイス・ドイツを中心に国際的に広がり、フランスではブルトンらが共鳴。ブルトンは創始者のひとりトリスタン・ツァラとパリで会ったが、考え方の違いから失望し、1922年にツァラと決別。彼らのダダイスムの時代は終わった。
「シュルレアリスム宣言」で本格的に 活動が始まる
1924年、ブルトンは「シュルレアリスム宣言」を出版し、運動のリーダーとなる。同年、機関誌「シュルレアリスム革命」も発行した。「シュルレアリスム」の語は、敬愛する詩人アポリネールによる造語。文学だけでなく絵画もシュルレアリスムの表現手段となり、マックス・エルンスト、自動デッサンをしていたアンドレ・マッソン、さらにジョルジョ・デ・キリコらが参加。その絶対的な存在から「シュルレアリスムの法皇」と揶揄されたブルトンとメンバーの間に摩擦が生じ、多くのメンバーが排除されてゆく。とはいえ排除されても個人的につながりを保った人などもいて、排除されたからシュルレアリストをやめたとも言いきれない複雑さがある。
フランス共産党入党の波紋
1927年、ブルトン、アラゴン、やはり詩人のポール・エリュアールらが芸術革命を政治と連携して行うため仏共産党に入党。しかし、ブルトンがメンバーに入党を要請したため、それを拒否した詩人ロベール・デスノスらがグループから去ってゆき、その後、ブルトン自身も結局、共産党とうまくいかず、ほどなく離党。アラゴン以外は離党した。
第二次大戦と戦後、 そして、ブルトンの死
第2次世界大戦が始まると、ブルトン、エルンスト、マルセル・デュシャンらは渡米し、戦争が終わるのを待った。戦後フランスに戻ると、文学では実存主義が全盛で、シュルレアリスムは過去のものとなったかに見えたが、ブルトンの吸引力は強く、彼の周りには若い世代の美術家や詩人が集い、シュルレアリスムは息を吹き返した。ブルトンは1966年に永眠。3年後の1969年に、シュルレアリストの作家・ジャーナリストのジャン・シュステルが、独断で「ル・モンド」紙に「歴史的シュルレアリスム」の終了を宣言。メンバーにとっては寝耳に水で、シュルレアリスムは死んでいないという反論が相次いだ。
21世紀のシュルレアリスムとは
ポンピドーセンターで開催中の「シュルレアリスム」展の共同キュレーター、ディディエ・オタンジェル氏は、「シュルレアリスムは国境や文化を超えて、今も発展し続けている」と言う。それで思い出されるのは、在仏ブラジル人アーティスト、ジュリアーノ・カルデイラ。デカルコマニー(紙の表面に絵の具やインクを流し、その上にもう一枚被せてそこに写った図から制作する)などシュルレアリスムの手法が好きで使う。AIで怪物を創造し、絵画にする。「AIに情報を入れると、自分が考えている以上の深い答えが戻ってくることがある」。AIにも無意識の領域ができてくるのかもしれない。今世紀、シュルレアリスムはどんな新しい方向に向かうのだろうか。
友情、恋愛、政治…1924年ごろのシュルレアリスト相関図
シュルレアリストたちが使った表現テクニック
ブルトンは「シュールレアリスム宣言」のなかで、シュルレアリスムをこう定義している。「口頭、筆記、その他あらゆる手段を使って、純粋に心から出てくるものを自動記述し、美的・道徳的な処理をいっさいせず、理性によるコントロールをゼロにして考えを表すこと」。どんなテクニックで〈理性から解放〉され自由に表現していたのか、いくつか例を挙げてみた。
文学
自動記述
気に入った場所で、理性にコントロールされず、文法も考えず、浮かんだ言葉を集中して速く書くこと。ブルトンとスーポーが1919年、一緒に毎日8〜10時間書き続けた。最後には幻覚が出てきた。この時に書いた散文が『磁場』という題名で翌年発行された。
絵画
自動デッサン
自動記述で文を書くように、速く集中してデッサンを描くこと。代表的画家はアンドレ・マッソン。
コラージュ
シチュエーションが異なる写真や絵を切り抜いて組み合わせ、通常ではあり得ない世界を作る。エルンストが有名。
フロッタージュ
ザラザラした表面に紙を乗せてチョークや鉛筆で擦り、出た模様を絵に使う。エルンストはこの技法で森や鳥の絵を描いた。
デカルコマニー
絵の具を厚めに紙やキャンバスに乗せ、その上に別の紙を乗せる。上の紙を取り去ると模様が下の支持体に写り、これが絵の元になる。エルンストが代表的画家。
カダーヴル・エクスキ(優雅な死骸)
複数の人が共同で作る文や絵。
文学:他の人が何を書いたかを知らずに、参加者が主語、動詞など自分の受け持ちの単語を書く。全部つなぎ合わせると思いがけない文章になる。
絵:紙を人数分に折り、前の人が描いた絵の最後を少しだけ出して隠し、順番に自分のパートに描く。最後に開けると思いがけない絵が出てくる。
文 羽生のり子