2023年はピカソ没後50年にあたり、各地で様々な展覧会が企画されています。オヴニーは、パリからニース、そこからムージャン、ヴァロリス、アンチーブと、多くの芸術家に愛されたコートダジュールに、現代美術の巨匠ゆかりの町を訪ねました。
連載2回目は、ピカソが陶芸に魅了された町、ヴァロリスを訪れます。
(1)ムージャン Mougins
(2)ヴァロリス Vallauris
(3)アンチーブ Antibes
取材と文 : 羽生のり子、編集部
取材協力:Comité Régional de Tourisme -Côte d’Azur France
www.cotedazurfrance.fr
Office de Tourisme de Vallauris Golfe-Juan
Vallauris Golf-Juan
ピカソと共に「陶芸の都」となったヴァロリス。
ヴァロリスは、ピカソが陶芸の魅力に取りつかれ、最後の伴侶、ジャクリーヌと出会った町だ。1947年、ゴルフ・ジュアンの海岸でバカンスを過ごしていたピカソは、そこから2km内陸の町ヴァロリスの「ネロリウム」を訪れた。ビターオレンジの花から精油「ネロリ」を抽出する工場だが、製造シーズン外は特産品の陶器や香水の展示即売会場になっていた。
ピカソはマドゥラ窯を経営する陶芸家のシュザンヌとジョルジュ・ラミエ夫妻のブースを見た後、彼らの窯を訪ねた。そのとき、もらった少量の粘土をその場でこねてオブジェを作った。1年後に再訪した時、夫妻がそのオブジェを窯で焼いたものを見せてくれた。これがピカソの琴線に触れ、陶芸を始め、当時の伴侶フランソワーズとヴァロリスに移住するほどのめり込んだ。
1952年、フランソワーズとの仲が冷えた頃、マドゥラ窯で販売員をしていたジャクリーヌ・ロックに出会った。交際が始まり、61年にはヴァロリス市役所で結婚した。
ヴァロリスでは陶製鍋の製造が盛んだったが、当時、窯は減り、寂しい町になっていた。町を活気づけたいという思いから、ピカソは毎年ネロリウム展示会のポスターを描き、自作の陶器を出品し、彫刻「羊を抱く男」など、町に多くの作品を残した。ヴァロリスは1945年から77年まで共産党政権の町だった。44年に同党に入党したピカソは、仲間意識もあって尽力したのかもしれない。
ヴァロリスには、マドゥラ窯でピカソの陶芸のアシスタントを務めた、87歳のドミニク・サッシさんが健在だ。「ピカソは自分でろくろを回したことはなく、職人にある程度まで形作ってもらい、そこに手を加えた」と語った。
中心街のヴァロリス城には「戦争と平和 国立ピカソ美術館」と「マニエリ陶芸美術館」が入っている。前者には礼拝堂の内壁に1952年にピカソが描いた壁画「戦争と平和」がある。スペイン内戦後も、第二次世界大戦、そして朝鮮戦争と紛争がつづくのを見てピカソが平和への願いを込めて創作したものだ。
後者は、フランスで活動した20世紀イタリア人画家アルベルト・マニエリの作品とピカソの陶芸を中心にした陶芸美術館。海辺の町ゴルフ・ジュアンはヴァロリス市に含まれており、合わせてヴァロリス・ゴルフ・ジュアンとも呼ばれる。
ゴルフ・ジュアンには、ピカソがフランソワーズにビーチパラソルを差し出している場面をロバート・キャパが写真に撮った浜辺が残っている。フランソワーズの著書「ピカソとの生活」の表紙に使われた写真で、英映画「サバイビング・ピカソ」でも再現された。ピカソ没後50周年を記念し、市は浜を「パブロ・ピカソの浜辺」と命名した。
戦争と平和 国立ピカソ美術館とマニエリ陶芸美術館
マニエリ陶芸美術館ではピカソの陶芸作品を集めた
« Formes et Métamorphoses »展が10/30まで開催中。
Musée national Picasso – La Guerre et la Paix :
Musée Magnelli – Musée de la céramique :
Pl. de la Libération 06220 Vallauris
火休、7/1〜9/15:10h-12h30/14h-18h両美術館ともヴァロリス城内。
入場券で両方入場可。6€/3€/18歳未満無料
● Office de Tourisme de Vallauris- Golf-Juan :
4 av. Georges Clemenceau 06220 Vallauris
www.vallaurisgolfejuan-tourisme.fr Tél. 04.9363.1838
Antibes Juan-les-Pins アンチーブ ジュアン・レ・パン:アンチーブの城に招かれ制作。
ピカソがアンチーブに来たのは1923年の夏。最初の妻オルガと子どもたちと過ごしているところに、スペインからピカソの母も加わった。その後1939年、アルベール1世通り44番地のマン・レイの海辺のアパートを借り、 ドラ・マールと夏を過ごした。ふたりはよく海辺を散歩した。「アンチーブの夜釣り」(1939)も、その時に見た情景を描いたと言われる。
アンチーブが一番大きくピカソの人生に関わったのは1946年。アンチーブ美術館となったグリマルディ城の学芸員がピカソに、館の一室をアトリエに使わないかと持ちかけたのだった。古代ギリシャ要塞の上に建てられた建物で、ジェノヴァ出身のグリマルディ一族の城だったことから、この名で呼ばれていた。ピカソに提案した学芸員は、ロミュアルド・ドル=ド=ラ=スシェール、ギリシャ・ラテン語の元高校教師で地元の歴史家だった。グリマルディ城を考古学歴史美術館にするという彼の提案を市が受け入れ、軍のものだった館を購入した。こうしてドル=ド=ラ=スシェールは学芸員になったのだった。
しかし美術館は予算が少なく、広い館内を満たすほどの作品数がなかった。そこで、ピカソの友人の写真家シムに頼んで、ピカソにアトリエとして使用する案を話してもらったのだった。滞在先のゴルフ・ジュアンで制作する場所がなかったピカソは、小躍りして喜んだという。
アトリエの提案を受けたのが9月8日、ピカソは10月にはすでに一番大きな部屋の一つをアトリエとして使い始めた。多くの作品の制作が終わったのは1年後。美術館側は描いた作品を寄贈してほしいと交渉した末、アンチーブで制作した油彩23点とデッサン44点が美術館のものとなり、その後ヴァロリスで作った陶芸作品も加わった。1966年、美術館は初のピカソ美術館となった。国立ではなく市立である。ピカソは1957年、アンチーブの名誉市民の称号を受けた。
常設コーナーには、ピカソ作品のほか、アンティーブで制作したニコラ・ド・スタール、アンナ=エヴァ・ベルイマン(P5参照)とハンス・ハルトゥング夫妻の作品もある。
1969年から72年までのピカソ最晩年の作品で構成する特別展 「初めの終わり」では、それまでになかった強烈な色彩で描かれた肖像画が多数出ている。造形的には違うのにベラスケスを思い起こさせる。これほどスペイン性が強い作品は初めて見た。ピカソの魂は、死ぬ前にスペインに戻ったと思った。(羽)
●Office de Tourisme d’Antibes-Juan-les-Pins : Place Guynemer – 06600
Tél : 04.2210.6010
www.antibesjuanlespins.com
6月:9h30-12h30/14h-18h.日:9h-13h。
7-8月:無休、毎日9h-19h。
Célébration Picasso à Paris
崇高なる友情 ピカソとエリュアール
Pablo Picasso, Paul Eluard, une amitié sublime
サン・ドニ歴史美術館にはピカソゆかりの所蔵品が多い。ブルトンと共にシュールレアリズムの中心にいた詩人ポール・エリュアール(1895-1952)がこの地出身で、彼の没後、手稿、写真などが多数寄贈されたからだ。エリュアールはピカソの才能と前衛性を20年代から評価し作品を集め、詩を捧げるなどしていた。スペイン内戦、共産主義と平和運動などを通じ政治観を共にし、芸術的にも共鳴しあった。出版物、南仏の夏の写真などでふたりの交友が語られる。バルセロナとパリ両ピカソ美術館との合同企画、充実の展覧会。7/10まで
Musée d’art et d’histoire Paul Éluard :
22 bis rue Gabriel Péri 93200 St-Denis
M°Porte de Paris 5/3€。月水金:10h-17h30、
木 : 10h-20h、土日: 14h-18h30。
musee-saint-denis.com
ピカソ美術館のコレクションが色づく
La collection prend des couleurs!
英デザイナー、ポール・スミス氏がパリ・ピカソ美術館のディスプレーを監修する、という特別企画。所蔵品のなかでも 「傑作」ととされる作品を、スミス氏が学芸員チームと新しい視点で、色とモチーフとユーモアたっぷりに空間を演出。8/27まで。
Musée national Picasso-Paris :
5 rue de Thorigny 3e M°Chemin Vert
月休、火〜金:10h30-18h、土日:9h30-18h
14/11€。子ども同伴者は2人まで割引
www.museepicassoparis.fr