アルベール・カーンの「地球映像資料館」
1909年から31年にかけてカーンは、地理学者のジャン・ブリューヌとともに、延べ12人ほどのカメラマンを世界の国々に派遣した。産業革命を迎えた国々では技術の進歩により生活が基盤から変わりつつあり、「今の世界が失われるのは時間の問題」と考えたカーンは、その前に写真と映像に記録しようとしたのだ。
カメラマンたちが持ち帰ったのは、映画の始祖と呼ばれるリュミエール兄弟が1903年に開発し1907年から商品化されたカラー写真 「オートクローム」を使った7万2千枚の画像と、18万3千メートルにおよぶ映像フィルム。この「地球映像資料館」と呼ばれるコレクションは、撮影技術においても、失われた世界の姿が記録された点からも、世界屈指のものとされる。取材は世界中に及んだものの、フランスは当然最も多く、3万枚のオートクロームが残されている。当時の風俗、各地方の衣装、建築物、第一次世界大戦、ストライキやパリの街の様子などが見られる、貴重な史料だ。
カーンは1909年に、探検家でカメラマンのジュール・ジェルヴェ=クールテルモンが開いた映写会で初めてオートクロームを知った。ジェルヴェはマグレブや中東をオートクロームで撮影してはパリで映写会と講演を行い、そこにはピエール・ロティやロダンらも来ていたのだ。数年後、カーンは彼に、「地球映像資料館」のカメラマンとして仕事を依頼する。
オートクロームは、赤、緑、青紫の3色に染めたジャガイモのデンプン粒子を塗布したガラス板に画像を焼き付ける。よって撮られたものは、映写するかそれ用のビューアーで観るものだ。カーンは当時の”インフルエンサー”たちを自邸へ招待し、自慢の庭を案内してから映写室へといざなった。フジタ、コレット、ダンサーのイザドラ・ダンカンらの芸術家、オートクロームを開発したルイ・リュミエール、ジョルジュ・クレマンソーや、後に大統領となるヴァンサン・オリオールといった政治家たちも招かれた。
庭の一角にある「写真技術の部屋 La Fabrique des images」には、「地球映像資料館」の一環で派遣されたカメラマンたちのプロフィールや、彼らの取材先、そこから持ち帰った写真などが紹介されている。今のように誰でも手軽に写真が撮れる時代とは違って、カメラも大きかった。録音のために使われた機械も陳列されている。
1926年から27年にかけて日本を取材したロジェ・デュマのコーナも興味深い。彼は審美眼を備えた紳士として知られていたそうだが、出発する前には日本語も習ったという。和装で正座をして、写真に収まっている。
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カーンと世界一周!オープニングを飾る展覧会「Autour du Monde A.カーンの世界一周」へ。
Musée Albert-Kahn
Adresse : 2 rue du Port , Boulogne-Billancourt , Franceアクセス : M°Boulogne Pont de Saint-Cloud (10号線)
URL : https://albert-kahn.hauts-de-seine.fr/
4月〜9月:11h-19h、(10月〜3月:11h-18h)、 Nuit des Musées の日( 5/14)は-22h。月休。 入場料:8€/5€。