カーンの愛した庭園と、「縁側」のある新ミュージアム。
銀行業で成功したカーンは1892年、ロチルド家の邸宅があるブローニュへやってきた。当時は家と小さな庭だけだったが、ほぼ30年間にわたって少しずつ近隣の土地を買い足してゆき、最終的に4ヘクタールの庭園を造った。それが今でもこのミュージアムの目玉のひとつとなっている。
大きな庭園の一部には日本庭園がある。カーンが初めて日本を訪れた翌年、1897年に造り始めたものだ。職人を日本から呼び寄せ五重塔を造り、そのそばには2軒の木造の家 (日本で買って解体しフランスで建て直した)を建て、茶会を催したり、その軒先や縁側で日本から輸入した草花や盆栽を展示した。1909年の世界一周の旅では日光にも滞在したが、その旅から戻るとふたつの鳥居を配した 〈Sanctuaire 聖域〉に着手する。日光の輪王寺で見た相輪塔と赤い太鼓橋の縮小版を置き、京都の清水寺の一部もミニチュアで造らせた。五重塔、鳥居は1953年の火災で消失。66年に裏千家が寄贈した茶室がかつて 〈聖域〉があった場所に建てられたのが今日も見られる。手入れされた庭木、ツツジの花、池の鯉、草陰で鳴く虫。国道と環状道路の絶え間ない自動車の音がなかったら、どこか日本の名勝地にいるような気になるだろう。
カーンの庭は日本だけでなく、〈フランス式庭園と果樹・バラ園〉、〈イギリス式庭園〉、アトラス山脈を彷彿とさせる 〈青い針葉樹森〉や、オセアニアの植物を植えた温室などで構成される。国や地方などのテーマに沿って植物を植え、そこに川を流したり土を盛るなどして異なる地形や風景を造り出すJardin à scènesと呼ばれる19世紀の庭園の様式だが、五大陸を象徴するそれらの庭が調和しつつ共存するさまは、カーンの国際協調を求めた姿勢にも通じているという。第一次大戦後、紛争を避け平和を築くための国際連盟が発足した。カーンがこの邸宅を整備して知識人、芸術家、政治家、経済人、軍人、宗教関係者など影響力ある人々を国内外から招いていたのも、平和な世界の実現をめざす 「勉強会」のためだった。形式張らない会合で、人々は昼食を共にし、食後はカーンがこの庭を案内、敷地内の写真館で肖像写真を撮るのがお決まりだったという。日本人でも在仏日本大使で常設国際司法裁判所に就任した法学者の安達峰一郎、三井財閥の團琢磨、明治天皇の第7皇女・北白川房子内親王…など、カーンのもとに集った人たちの姿が写されたガラス乾板を展示室で見ることができる。
さまざまなテーマの庭があるうち、〈ヴォージュの森〉はカーンの人生と密接に繋がっている(写真上)。アルザス北東に位置するヴォージュ山塊から岩とエゾマツ400本を電車で運んで植え、幼い頃カーンが遊んだ森を再現したものだ。毎朝5時に起きて仕事を始める前に庭を歩くのが習慣だったというカーン。薄暗い森を歩きながら戦争で追われた生まれ故郷マルムティエや、おぼろげな母親の記憶に思いを駆せたのだろうか。
この庭は、当時の造園・園芸文化を伝える貴重なものとして2015年、歴史記念物に指定された。(集)
Engawa-縁側がある博物館
2012年の建築コンペで選ばれた隈研吾氏が設計した新しいアルベール・カーン博物館。建物の外壁はアルミのパネルで覆われ、シャープで硬質な印象。甲殻のようでもある。建物内に入ると雰囲気は一変し、ガラスの壁の向こうに緑の中庭が広がっているのが見える。その外側を縁どるように 〈縁側〉が造られ、ミュージアムと庭園をつないでいる。夜になると(火曜は22時閉館)オーク材のパネルのすき間から館内の灯りが漏れ日中とは別の美しさを放つ。
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Musée Albert-Kahn
Adresse : 2 rue du Port , Boulogne-Billancourt , Franceアクセス : M°Boulogne Pont de Saint-Cloud (10号線)
URL : https://albert-kahn.hauts-de-seine.fr/
4月〜9月:11h-19h、(10月〜3月:11h-18h)、 Nuit des Musées の日( 5/14)は-22h。月休。 入場料:8€/5€。