新しくなった、アルベール・カーン博物館。
アルベール・カーン(1860−1940)の商才は、幼いころ、家畜商だった父親が市で交渉するのを見て育まれたといわれる。4人兄妹の長男で早くに独立し富豪となるが、その財産は、戦争の被害者救済や、生物研究所や疫病防止センター創設などの慈善事業に使った。若い人たちには 「知識を深めるより、異国の人々と感じよくコミュニケーションすること」や、本を読むだけでなく世界の現実に触れることの大切さを説いたという。
アルベール・カーン、あるいは戦争の時代。
1860年アルザスにユダヤ人として生まれる。アルベール・カーンの生涯を振り返るとき、その意味の重さを思わずにはいられない。
ドイツ (プロシア)とフランスの戦争、普仏戦争の結果、故郷アルザスがフランス領からドイツ領に組み込まれたのは10代のとば口。この時期に母も亡くした少年は16歳で単身パリへ出ることを決意する。フランス風にアルベールと名乗って。
銀行に勤めながらの修業時代、出会った巨人たちがカーンを導く。家庭教師として知の風を吹き込んだのは、若き日の哲学者ベルクソン。そしてセシル・ローズは投資の才を開花させる。大英帝国の植民地経営者としていわく付きの人物ではあるが、この大物の知遇を得て南アフリカの金鉱・ダイヤモンド鉱へ投資、若くして莫大な財産を築く。
38歳で独立、自分の銀行を設立。ただし順風満帆な門出だったとは言えない。世紀末フランス社会を揺るがしたドレフュス事件以来、反ユダヤ感情の渦巻くなか、銀行業から一歩退かざるを得ない状況にあった。もっとも、こういう状況にあったからこそカーンの本領が目覚めたとも言える。彼の名を不滅のものとする二つの社会貢献事業に、私財を投じて取り組むときが訪れたのだ。
ひとつは 「世界周遊」(Autour du Monde)と呼ばれる奨学金制度。テーマも制約もなく好きなように15ヵ月をかけて世界を一周する。特に成果を報告する必要もない、ただ世界を見てきて、最後に交流の場に出る。この交流の場には客としてトーマス・マンやタゴール、新渡戸稲造なども招かれたという。
もうひとつは「地球映像資料館」(Les Archives de la Planète)。世界約50ヵ国に写真家を派遣し、世界各地の生きた姿を映像として記録し保存する。現在さまざまな国際機関や学術団体によってなされている事業の先鞭をつけるもので、20世紀初頭の貴重な記録が数多く残されている。
冷徹な投資家であり、視野の広い異文化観察者であるカーンが、東の果ての新興国・日本に注目したのは当然の成り行きだったかもしれない。その潜在能力と可能性に投資、日露戦争では大量に戦時外債を購入することで資金を提供すると同時に投資家としても大成功を収める。国際情勢の情報収集力と分析力、的確な判断力のもたらした結果であることは言うまでもない。それでも大博打であったことは確かで、単なる計算を超え、東洋の異文化に惹かれていたからでもあると考えたくなる。
じっさい1908年に訪日したときには、宮中行事にはじまり町家や農家など一般庶民の暮らしにいたるまでを映像化し、パリ近郊にある自邸の日本庭園を完成させるために庭師や大工を雇い入れて連れ帰るほどだったという。
世界を知り世界を理解する。世界は一面的ではなくさまざまな顔をして現れる。多様性をありのまま受けとめる。アルベール・カーンの社会事業からは、こういうメッセージが伝わってくる。戦争の論理が 「自国の価値基準を世界標準として押し出すのは正義である」とするなら、それの対極に位置するのがカーンの思いだった。さまざまな在りようを相互に認め合う豊かさ。おおらかな普遍主義、それを支える「知」・・・ 。
アルベール・カーンの人生の浮き沈みは激しい。大富豪の仲間入りするのも早かったかわりに、没落も急だった。1929年の世界恐慌で事業の経営が傾くと1936年には破産。膨大な映像コレクションと邸宅はセーヌ県に買い上げられ、かろうじて自宅に居住することを許される身となった。
戦争に縁取られた生涯は、孤独の影に付きまとわれてもいる。故郷を失い、母を失い、フランス人として生きようと決意したときも。思いがけぬ成功で若くして銀行を開業したときでさえ。一文なしになって自ら造った庭を歩きまわり、手塩にかけた日本庭園で休むときにはなおさら。
1940年没、世は再び戦乱の重い雲に覆われようとしていた。アルベール・カーン、孤独ゆえに宿った思いの強さをあらためて感じ取ってみたい。(おおしま伸)
アルベール・カーン略歴
1860 : アルザス地方マルムティエに誕生
1870 : 普仏戦争でアルザスは独領に。母を亡くす
1876 : パリ・モンマルトル通りの仕立屋に勤める
1878 : パリでゴショー銀行に雇われる
1879 : 哲学者ベルグソンと出会い一生の友に
1892 : ブローニュ・シュル・セーヌに移住
1896 : 初めての日本旅行
1898 : リシュリュー通りにA・カーン銀行創設
世界周遊奨学金制度を設ける
1908 : 世界一周旅行
1909 : 地球映像資料館をスタートさせる
1932 : 世界恐慌のあおりでA・カーン銀行破産
1940 : 私邸で死亡
Musée Albert-Kahn
Adresse : 2 rue du Port , Boulogne-Billancourt , Franceアクセス : M°Boulogne Pont de Saint-Cloud (10号線)
URL : https://albert-kahn.hauts-de-seine.fr/
4月〜9月:11h-19h、(10月〜3月:11h-18h)、 Nuit des Musées の日( 5/14)は-22h。月休。 入場料:8€/5€。