アニー・エルノー、ノーベル文学賞受賞。
2022年度ノーベル文学賞はアニー・エルノーに授与された。フランス人作家では16人目だが、女性では初めての受賞である。自伝的要素をもとに鋭い客観性を通して、修飾や隠喩を避けた簡素な文体で「現実の世界 le réel 」に迫るエルノーの作品は、読む者に事象と感情の共有・共感を引き起こす。自伝小説ではなく、「非・自我としての私 “je” impersonnel」が多くの人の境遇と社会を映し出す普遍性にいたる、独特な文学を彼女は築いた。
日本では『シンプルな情熱』(1992年)が最初に訳されたためか、恋愛と性を描いた面のみが印象づけられたようだが、エルノーの特徴は、私的な事象を通して階級差別や女性蔑視など社会の様相が歴史的背景の中で浮き彫りにされることだ。たとえば、自らの人工妊娠中絶を当時の日記をもとに書きつづった 『事件』(2000年)では、中絶が非合法だった彼女の学生時代 (1963年)の抑圧された女性の状況に、執筆時の難民に対する社会的弾圧が重ねられる。
書く行為は 「中立」ではないとエルノーはとらえる。ノルマンディーの小さな町イヴトでカフェ・食料品店を営む両親の元で育った彼女は、庶民とブルジョワが別々の世界(言語・文化)であることを子ども時代から理解し、支配階級の庶民に対する侮蔑を痛感した。学修によってエルノーは支配階級側の世界に入るが、12歳で働き始めた農民・労働者階級出身の両親の世界が彼女の原点であり、文学によって彼ら被支配階級の人々の身体や言語、尊厳を恢復(かいふく)しようと願った。こうして父親を描いた『場所』(1983年)、母親についての『ある女』(1987年)の執筆以来、習得した格調高いアカデミック言語から美辞麗句や効果を狙う技巧を削った「平坦な」文体が生まれる。
ピエール・ブルデュー(資本と階級の区別理論など)の社会学との出会いが、自分に染みついた被支配階級の引け目からエルノーを解放し、社会の中で行動する理由を与えた。「自分の人種の誇りを挽回するために書く」(ランボー)をよく引用するエルノーの文学は、エドゥアール・ルイなど庶民階級出身の作家に多大な影響をもたらした。文学を通してだけでなく、エルノーは女性の自由を身をもって切り開き、あらゆる不平等に対して闘ってきた。彼女のアンガージュマン(政治・社会運動への参加)は、最近の「物価高と気候変動における政府の無行動に抗議する行進」に左派連合NUPESと共に参列したことからもわかる。
社会学と歴史的視点を取り込んだエルノーの文学は、第二次大戦から21世紀初頭まで、彼女自身と時代の歩み、個人と集団の記憶を綴った『Les années(歳月)』(2008年)に見事に表現されている。記憶と時間は、全く文体が異なるプルーストにも共通する文学のテーマである。(飛)
アニー・エルノーと映画
『シンプルな情熱』(ダニエル・アルビッド監督、2020年)と『事件』(『あのこと』、オドレー・ディワン監督、2021年ヴェネチア映画祭で金獅子賞)は映画化された。エルノーはしばしば写真の描写から叙述を展開するが、1972年〜81年の家族の映像(夫が8ミリカメラで撮影)を編集し、自らナレーションを入れたドキュメンタリー『Les années super 8 (スーパー8ミリの歳月)』を息子ダヴィッドと共作し、2021年カンヌ映画祭〈監督週間〉部門に出品。現在アルテ局のサイトで閲覧可能で、12/4日には劇場公開となる。