1950年代から現代まで、60年以上にわたり映画と演劇界で活躍した名優ジャン=ルイ・トランティニャンが、2022年6月17日、南仏ガール県の自宅で逝去した。2017年に前立性がんを公表していたが治療は拒否し、家族に見守られながらの穏やかな91歳の老衰死だ。常に周囲には流されず、家族を愛した彼らしい理想的な死に方だったと想像する。
市長まで務めた実業家で地元の名士だった父や、世界的なレーシングドライバーの叔父を持つトランティニャンは、映画から選ばれた人である。本人は俳優業に執着したわけではなかったが、何度引退を口にしても周囲が放っておかず、結局は映画に呼び戻された。監督希望で映画学校のイデックに入学し、後年2本の監督作を残したり、レーシングドライバーとして活躍していたこともあった。また、映画よりも舞台芸術への愛を口にすることが多かった。
トランティニャンの映画界への貢献はここで紹介しきれないが、映画俳優としては三つの大きなキャリアの頂点を経験している。まずはクロード・ルルーシュの『男と女』(1966年)。「ダバダバダ~」のフランシス・レイの主題歌に乗り、世界中でブームを巻き起こした作品だ。出来過ぎ美男美女の夢のように美しく切ない恋愛映画で、トランティニャンのレーサー役は彼ならではのはまり役に。カンヌ映画祭の最高賞パルムドールやアカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。
続いて、1969年のコスタ・ガヴラスの『Z』(1969年)。トランティニャンは実在の事件を基にした骨太政治サスペンスである本作の脚本を読み、「無料でも出演する」と出演を快諾した。結果、映画はカンヌ映画祭の審査員賞に加え、本人も予審判事役で男優賞を受賞。さらに映画はアカデミー賞の外国語映画賞まで獲得した。トランティニャン本人は折に触れ社会主義や共産主義に共感を口にしており、ファシズム的政権への反発を滲ませる本作への参加を望んだことは自然の流れに思えるのだ。ちなみにトランティニャンの父は市長になる前にヴィシー政権下でレジスタンスに身を投じた人物であり、正義感の強さは父譲りかもしれない。
キャリアの三つ目の波は、ミヒャエル・ハネケ監督の『愛、アムール』(2012年)だ。認知症を発症する妻とその夫という老夫婦の愛を見つめた作品だが、ハネケの熱心な説得で、久々にトランティニャンを映画界に引っ張り出すことに成功している。結果は、やはりカンヌ映画祭パルムドールとアカデミー賞の外国語映画賞のW受賞を果たした。
フランス映画界では才気あふれる監督たちから常に声がかかっていた。ヌーヴェル・ヴァーグの初期こそ兵役と重なったが、後にクロード・シャブロル『女鹿』(1968年)、エリック・ロメール『モード家の一夜』(1969年)、フランソワ・トリュフォー『日曜日が待ち遠しい!』(1983年)など、ヌーヴェル・ヴァーグの重要監督たちと仕事をした。他にもルネ・クレマン、ジャック・オディアール、クシシュトフ・キェシロフスキ、パトリス・シェローら新旧の才人に重宝されてきた。
キャリアの早いうちから親しんだイタリア映画界での活躍も特筆に値する。ヴァレリオ・ズルリーニ『激しい季節』(1959年)、ディノ・リージ『追い越し野郎』(1962年)、セルジオ・コルブッチ『殺しが静かにやって来る』(1968年)、ベルナルド・ベルトルッチ『暗殺の森』(1970年)、ルイジ・コメンチーニ『La Femme du dimanche』(1975)など、こちらも枚挙に暇がない。
『Z』の世界的成功後はハリウッドからもお呼びもかかったが(コッポラやスピルバーグ作品など)、断ることも多く、金や名誉になびかない人というのが伺える。80年代以降は徐々に主演作を減らしていき、映画界と距離を置くようにもなったが、舞台への情熱は晩年も強かった。
恋多きトランティニャンは私生活では三回結婚。一人目が女優のステファーヌ・オードラン(『素直な悪女』で共演のブリジット・バルドーとの浮気で破局)、二人目が映画監督のナディーヌ・トランティニャン、三人目が元レーシングドライバーのマリアーヌ・ホープフナー・トランティニャンである。ナディーヌとは一男二女をもうけたが、トランティニャンがイタリアで「暗殺の森」を撮影している頃、生後10ヶ月の次女ポーリーヌが突然死した。長女のマリーは後年、『ポネット』の出演などで知られる有名女優となったが、2003年に交際中の歌手のベルトラン・カンタに殴打され亡くなった。深い信頼関係を築いていた愛娘の死は、トランティニャンを失意の底に落とした。
「私はマリーが旅立った13年前に死んだ。その後は小さな幸せや驚きもあったけど、私の人生はこの日で止まったのです」(2016年JDDのインタビューで)
それでもハネケやルルーシュの呼びかけで、晩年も銀幕で返り咲いてくれたのはファンには朗報であった。同時代に活躍したジャン=ポール・ベルモンドやアラン・ドロンといったファンサービスも抜かりのない大スターとは違ったが、彼の近づき難いぶっきらぼうさは、誠実さの裏返しでもあったろう。冷めた目つきの爬虫類系美貌で、冷酷な殺人者から正義感あふれる判事、あるいはロマンティックな愛人までよく板についた。しかも知的でエレガントでありながら、曖昧さとセクシーさまで併せ持つ玄人好みの奥深い魅力だ。楽器と重ねられる素晴らしい声も語り草だった。
「ジャン=ルイ・トランティニャンの声は本当の楽器だ。言葉を聞かずしてメロディーが聞こえる」(クロード・ルルーシュ)
ムッシュー・トランティニャンは作品の中で永遠に輝き続けるだろう。(瑞)