Sally Mann ”Mille et un passages”
自分とは何か、を突き詰めようとすると、生まれ育った土地の特性や自分が生まれる前の歴史を知ることが必要になる。人と風土は切り離せないからだ。アメリカの写真家サリー・マン(1951-)が追及したのはまさにそれだった。
ヴァージニア州レキシントンで生まれ、今もこの地 で家族と暮らしている。ヴァージニア州は、南北戦争(1861-1865)のときに奴隷制維持を主張する南軍側で、奴隷制廃止後も人種差別が色濃く残った。黒人が公民権を得ていなかった1950年代から60年代初め、働く母に代わってマンの世話をしたのは黒人の乳母だった。人種差別が残る社会で、中流の白人が黒人の乳母を母親がわりにしたという矛盾。そのただ中にいたことを自覚したマンは、乳母や、黒人青年の姿、逃亡奴隷たちが隠れた川のほとりの風景を自分と故郷の歴史として撮っていった。
奴隷解放後、黒人たちが通った小さな教会の建物は、祈りに来た人々の思いを発散させている。日本では子どもの日常を撮った作品が有名だが、こうした作品があることも知ってほしい。コロジオンを敷いたガラス原板を硝酸銀に浸し、濡れている間に撮影し現像する「写真湿板」を使った大判写真が、深みのある黒を出している。9月22日まで。(羽)