昨年のベネチア映画祭にて、ジャンフランコ・ロージの『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』(2013年)に続く史上2度目のドキュメンタリーの金獅子賞に輝いたのは、ローラ・ポイトラス監督『Toute la beauté et le sang versé』(稀にみる美しいタイトル!)だった。世界三大映画祭では、近年ますますドキュメンタリーや女性監督作品に最高賞を授与する例が目立っている。本作は「女性監督によるドキュメンタリー」であるから、まさにその傾向を掛け合わせたかのような作品である。
カメラが追いかけるのは、アメリカを代表する写真家ナン・ゴールディン(1953年~)。周囲や自身の日常を自然光で捉える親密かつ政治的な作風で知られ、日本でも多くのファンがいる。かつて『シチズンフォー スノーデンの暴露』(2014年)でアメリカの監視システムに果敢に切り込んだポイトラス監督は、またもや並のドキュメンタリー作家では到底選べない、あまりに重要だが危険も伴うテーマを選んだ。なぜなら、映画はナン・ゴールディンの波乱に満ちた芸術家人生のみならず、巨大な製薬会社に立ち向かう彼女の活動家としての闘いに密着しているからだ。
この製薬会社を所有するのは、大富豪のサックラー家。医療用鎮痛剤「オピオイド」で多くの薬物中毒者を生み、その過剰摂取による死は社会問題にもなった。ゴールディン本人も被害者のひとり。彼女は抗議団体「P.A.I.N」を立ち上げ、サックラー家から多額の寄付を受けていたメトロポリタンやグッゲンハイムら大手美術館に仲間と乗り込み、過激な抗議活動を続けてきた。その姿は、まるで旧約聖書の巨人ゴリアテに立ち向かう少年ダビデ。ダビデはわずかな石で敵を打ち倒すことができたが、ゴールディンの場合は地道に積み上げてきた自身の「名声」が武器になったようだ。
巨大な力を持つ製薬会社と深刻な薬害、そして怪しいお金の流れ。これはサックラー家が表舞台から消え去っても、いつの時代も続く深刻な問題だろう。現に今だって……。私たちに必要な映画を作ってくれた勇敢なポイトラスとゴールディンには最大限の賛辞を送りたい。(瑞)
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