
Photo : Andreas Rentz Getty Images Entertainment :ゲッティイメージズ提供
2026年カンヌ国際映画祭コンペ部門に、是枝裕和、深田晃司、濱口竜介の日本人3監督が25年ぶりに選出された。なかでも日仏合作の濱口作品『急に具合が悪くなる 』は、ヴィルジニー・エフィラと岡本多緒にW女優賞をもたらした。話題の本作が『Soudain』の仏題で、いよいよ劇場公開に。
原作は人類学者の磯野真穂と哲学者の宮野真生子の同名の往復書簡集。介護施設長のフランス人女性と、癌を患う日本人舞台演出家の魂の交流を描き、国境を超えた友情劇へと深化する。カンヌで人間性への悲観が漂う出品作が並ぶ中、濱口は現代社会への鋭い眼差しを保ちながらも、人間性への希望を描き出す。
「現場の発見から映画を作る豊かさ。」

— 外国のジャーナリストから「ユートピアのような話」と言われたそうですが。
濱口: 「ユートピアの話ではない」と伝えました。たしかにこの物語は、滅多に起こらないことの積み重ねでできており、ある種の小さな奇跡を取り扱っているのは間違いありません。ただ、「滅多に起こらない」ことが「不可能である」とは必ずしも言えないからです。
例えば、作中で演劇の題材となったイタリアの精神科医フランコ・バザーリアは、実際に精神病院を廃絶しました。また、主人公が実践する「ユマニチュード(フランス発祥の認知ケアの手法)」も、世界中の多くの施設で機能しています。主人公マリー=ルーと真理の出会いには、原作者が「魂の分け合い」と表現した奇跡的な関係性が短い時間で生じていますが、それも現実にあったことをベースにしています。「こうした奇跡的なことが現実に繋がった可能性を、映画として構想できるのではないか」と話したら、(ジャーナリストは)「うーん」という反応でした(笑)。
— 今作は深田晃司監督の『ナギダイアリー』のように、「人と腹を割って話す」「人と触れ合う」ことが描かれていました。本来、人間関係において本質的なことだと思いますが、コロナ以降は実践が難しくなったと感じます。そうした意識はおありでしたか。
濱口: コロナ以降というより、ずっと進行していたことがコロナで加速したのだと思います。「人に関心を寄せるための余裕」が失われているのではないでしょうか。「目で目を見る」「ちゃんと話を聞く」「触れ合う」ためには、具体的な時間が必ず必要になります。そうした時間がどんどん奪われている感覚は、私自身が20代の頃からずっと続いていました。震災やコロナのような出来事が起こるとその傾向がグッと加速し、人に余裕を持てる人が少なくなっている印象があります。
— 会話の中で、空が闇に近づくほど暗くなるシーンがありましたが、空や光の撮影におけるこだわりを教えてください。
濱口: 会話をしていて時間を忘れるような体験は、私にもあります。最近は体力的に難しいですが、「夜を徹して話す」といったことです。昼に話せることと夜に話せることは違いますよね。昼はお互いの輪郭がはっきり見えていて、分かれた存在であることが明瞭です。しかし、夜になると互いの輪郭や自他の境界がぼやけてきて、「つい話してしまう」「こんなことを聞いてしまうなんて」という会話が生まれます。一方で、夜を徹して話した後に光が明るくなってくると、そういう時間が終わっていく感覚もあります。この会話ばかりの映画の中で、光の変化は重要な視覚要素であり、観客にも光を通じて、その感覚を追体験してもらえたらと思っていました。

CINEFRANCE STUDIOS – Julien Panié
— W主演のヴェルジニー・エフィラさんの決定はかなり遅かったと伺いました。
濱口: 彼女が参加したのはクランクインの2ヶ月前です。決まったこと自体、奇跡のようだと思っています。
— 俳優としての彼女の魅力はどこですか。
濱口: 「飛び込んで、変わっていく力」です。映画『ベネデッタ』でも表れていましたが、今回はヌードやセックスシーンのような分かりやすいリスクではなく、全くの外国語である日本語を流暢に話せるレベルまで身体的に変わらなければなりませんでした。日本語を話す相手役としっかりコネクトしないと感情が湧くことも難しい状況の中、彼女にはものすごい注意力がありました。対象に即して自然と変わっていく姿を見て、本当に素晴らしい俳優だと撮影しながら思っていました。最初は言葉で色々伝えていましたが、次第に言わなくても映画の世界に入り込み、信じられる存在になっていった。彼女と仕事ができて本当に幸運でした。
— 彼女は日本語能力がゼロから参加されたのですか。
濱口: そうです。宮崎駿や高畑勲の作品はもともとお好きだったようですが。

CINEFRANCE STUDIOS – Julien Panié
— 相手役の岡本多緒さんの魅力はいかがですか。
濱口: 「ある種の軽やかさ」と、同時にある確かな「芯」です。理性的なものがありつつも、それをものすごく出すわけではない。色々なことを軽やかに表現するけれど、内に秘めたものがとてもある。それは原作者の宮野さんと、非常に近い性質だった気がします。
また主演の二人はどちらもサポーティブで、互いを本当に支え合ってくれました。そうでないと乗り切れない現場でしたし、二人の人間性に映画が救われた部分は大きいです。
— これまでの作品の要素が集大成したように見えましたが、今作だからこそ得られた新しい表現や経験はありますか。
濱口: 今回フランスで9割方を撮影させてもらい、「もっといい加減でもいいのかもしれない」と感じました。これはフランスの制作体制の豊かさによるものです。前提として、フランスの感覚では日本で「1」の予算でできることに、3倍の費用がかかると言われます。日本はお金も時間もないという実感の中で作っており、1日で絶対にそのロケーションで撮りきるため、プランAだけでなく、プランBやCまで準備します。そのためスタッフが寝られず、長時間労働が発生する。
一方、フランスではロケハン時に「自分以外誰も脚本を見ていない」ということがありました。彼らにとって脚本は「当日までの仮」という感覚のようです。撮影当日に「お願いしたものは?」と聞いても、「これから買ってきます。撮影日は2日あるから」となる(笑)。最初は困惑しましたが、やってみると監督としてのプレッシャーが低くなる方法でした。「その場で思いついたことが最善だ」という意識があり、そのためには当日いくらでも動いてくれる。だから、フランス人が働き者ではないかというと、全くそんなことはなく、めちゃめちゃ働き者ではあるんですよ。力点の置き方が違くて、 やっぱり合理的です。
実際、カメラを据えて演者とやってみないと分からないことが多く、現場での発見から映画を作れるのはすごく豊かです。これがフランス映画がハリウッド以外でクオリティを保ち続けられる理由の一つだと理解しました。
— カンヌで日本映画が多数選出され「黄金期再来」とも言われますが、現在の日本映画の立ち位置をどう見ますか。
濱口: いずれ「金メッキ時代だった」と言われないよう頑張らないといけません(笑)。かつての黄金時代は撮影所システムがあり、過去の経験や関係性を活かして、短期間で質の高い作品を作り続けられる状況が整っていました。現在は最初のコミュニケーションや意志共有に莫大な時間がかかります。
歴史の流れとして致し方ない部分もありますが、「映画の持続可能性」において、今の日本映像業界が質の高い映画を作り続けられる状況かというと、全くそうではありません。今回コンペに日本映画が3本選ばれたのも25年ぶりですが、長いサイクルでたまに起こる現象に過ぎません。「黄金時代」と呼ぶにはほど遠いのが、現場の実感です。個々の映画監督が人生を賭けて頑張った成果が集合する瞬間はあっても、常にそれが起こるような準備はされていない気がします。
(聞き手: 林瑞絵)

