シラク元大統領、死去。

ジャック・シラク元大統領が9月26日、パリの自宅で死去した。86歳だった。28日はアンヴァリッドに安置された棺に別れを告げようと、冷たい雨のなかを市民が夜通し列を作った。29日には、約30カ国の首脳がサン・シュルピス教会での葬儀に参列、その後、モンパルナス墓地に埋葬された。

1932年パリ生まれ。高校卒業後、石炭船の船員として旅をした。パリ政治学院在学中は共産主義運動に参加し、米国を1年間旅行。国立行政学院在学中に名門ブルジョワ家系のベルナデットさんと結婚。アルジェリア戦争下の当地で兵役に就く。62年会計監査院で官僚としてキャリアをスタート。地方議会議員を経て、68年国民議会議員に当選。72年、ポンピドゥ大統領に農業相に任命される。農村でざっくばらんに人々と言葉や杯を交わす大臣だった。

74年、ヴァレリー・ジスカール=デスタン大統領から首相に任命されるが、大統領と不仲となり76年に辞任。翌年パリ市長に当選し、18年間市長を務める。2度の落選を経て、95年に大統領選初当選。仏大統領として初めて、ドイツ占領下でユダヤ人を収容所に移送したことについてフランスの責任を認める。仏領ポリネシアで核実験を再開して世界中から批判を浴び、翌年、核実験停止を発表。

2002年に再選。極右政党国民戦線のジャン=マリー・ルペン氏が初めて決選投票に残ったが、国民が危機感を感じ、得票率82%で大勝した。03年には、米国のイラクへの軍事介入に真っ向から反対し、外交上の存在感を示した。05年に脳卒中を起こし、07年の大統領選には出馬せず、表舞台から退いた。11年に、パリ市長時代の架空雇用について、執行猶予付きで禁固2年、大統領歴任者として初めて有罪判決を受けた。

アジアやオセアニアなどのプリミティブアートなどにも造詣が深く、ケ・ブランリー美術館を06年に開館。大の日本好きで知られ、来日回数は約50回。大相撲の熱烈なファンで、1986年と95年にパリ場所を開催、2000年には「ジャック・シラク杯」を創設。大統領在任中は、在日仏大使館が毎日、取組結果を大統領府に連絡していたという。日本に隠し子がいるという噂が立ったほか、隠し口座を保持していた疑いで捜査も行われた。

美食家で人たらし。自国に誇りがあり、米国に追随しない。文化人だがカネの面で疑惑がある。5日連続で1面をシラクに割いたル・パリジャン紙は、死去翌日の見出しを「いかにもフランス人だった」とした。ひとつの時代が去った(重)。


 

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