
グラン・パレで終了間近の塩田千春展。会場に入ると人でいっぱいだ。過去の作品のビデオや写真も、皆、熱心に見ている。過去の集大成に近い展覧会だ。これほどまでに観客を集めたのは、作品だけでなく、作家の心の動きがストーリー性を持って見る側に訴えてくるようなセノグラフィー(会場の総合デザイン)に依るところが大きいだろう。作家の言葉があちこちに散りばめられており、それが観客に「自分のこと」のように響く。
油彩を描くのが好きで京都精華大学に入学したが、表現に限界を感じて、1年生の時に油絵を描くのを止めてしまった。その後交換留学生としてオーストラリア留学していた時に、自分の体が表現媒体になることを悟り、日本に戻ってから自分の体と赤い糸、カートン、布を使ったインスタレーション・パフォーマンス「D N AからD N Aへ」を作った。糸を使った初めての作品だった。
精華大学卒業後、ドイツに留学。留学中に製作した、土を掘った穴の中に転がり、そこから出ることをくり返すパフォーマンス「Try and go home」や、泥をかぶり続けるパフォーマンス「Bathroom」には、自然界と結びついたアニミズム的なものがある。
塩田千春は糸を使ったインスタレーションで知られている。糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされてオブジェを覆ったり、糸でできた船が天井から吊り下げられていたりする。人と人とを結ぶ「赤い糸」は塩田の作品を貫くテーマだが、彼女の場合、一般的に使われる恋愛や結婚による結びつきよりもっと広い意味をもつ。人が生まれてから死ぬまで保つ血管の赤。それは生の証拠だ。その赤が無数に重なり合い、人と人との繋がりが生まれる。最初の展示室にある、手から赤い糸が出ている数枚のデッサンが、それを端的に見せている。家族、親族の肖像写真を集めて大きなパネルにした「My Cousins’Faces」からは、自分が生まれる前に生きていた人たちとの繋がりが濃厚に感じられる。
糸の色は赤、白、黒。赤と白の組み合わせは、日本では祝いごとに使われ、黒と白の組み合わせは葬式の垂れ幕に使われる。会場に赤と黒、白と黒の組み合わせはあったが、イメージするものがはっきりしすぎているからか、赤と白の組み合わせはなかった。

個人的に一番気に入ったのは、埃を被った黒い椅子と焼けたピアノが黒い糸で覆われているインスタレーション「In Silence静けさの中で」だ。ここでの黒は黒死病(ペスト)を連想させる、死のイメージだ。欧州を何度も襲った黒死病で人が絶えた町の、観客がいない演奏会場を思わせる。
最後の展示作品は、多くのスーツケースが上から赤い太い糸で吊り下げられ、揺れ動き続ける「集積―目的地を求めて Accumulation-Searching for the Destination」。この展覧会を見るのは2回目で、12月初旬に初めて見た時は、自分も含めた移民のことを考えた。それが、今回はもっと緊迫したものを感じた。米国では1月に就任したトランプ大統領が強権な反移民政策を主張し、ドイツでは2月23日の総選挙で、移民排除を政策に掲げる極右政党Af Dが第2党になった。今後、両国で強制送還される移民はどれほどにのぼるのか。米国では米国再開発局(U S A I D)を閉鎖し、2000人の職員を解雇する予定だという。移民だけでなく、失業の憂き目に遭い、転居する米国人も増えるだろう。2014年制作のこの作品は、今も世界の反映として映る。揺れ続けるスーツケースから出る音は、移動せざるをえない人たちの抗議の音かもしれない。

造形作家は時代を予感して制作するものなのだろうか。それに対する答えを3月5日、パリのピカソ美術館で行われた漫画(B D)作家のルツのトークショーで聞いた。ルツはナチスに「退廃芸術」の烙印を押された絵を題材にした漫画「2人のヌードの少女Deux filles nues」を2024年末に出版し、今年のアングレーム国際漫画フェスティバルで最優秀アルバム賞を受賞した。「ナチスの時代の話として描いたが、現代の話だ。この本を書いたときは、そんなことは考えていなかったが、直感が働いたのかもしれない」と語った。ドイツではAfDが、バウハウスを「悪趣味で醜い」と非難しているのだという。バウハウスはナチスから退廃芸術と見做された20世紀前半の芸術とデザインの運動である。
作者の意図がなんであれ、見る人が想像力を広げて自由に解釈するのを可能にする作品は、時代を超えて生き残る。塩田千春の作品もその一つだ。(羽)3/19まで

Grand Palais (Porte H)
Adresse : Avenue Winston Churchill , 75008 Paris , Franceアクセス : Franklin D. Roosevelt
URL : https://www.grandpalais.fr/fr
9h-20h30 (金-22h)。 3/10, 3/11休館。14€/11€。18歳未満無料。
