モダン建築とアール・デコ、個性を競う住宅たち。
町の北東の端っこのナンジェセール・エ・コリ通りは、メトロのポルト・ドトゥイユに近く、パリ16区との境界の道。通りのパリ側には、ウニの殻のような姿のスタッド・ジャン・ブーアンと、パリ・サンジェルマンの本拠パルク・デ・プランスが並んでいる。
向かいのブローニュ側に並ぶ中層のアパルトマンは、どれもが1930年代の建築。そのひとつ24番地の 「モリトール集合住宅」は、ル・コルビュジエの設計。8階(日本では9階)建て、全14戸のうち最上階の2層に彼自身が住んでいた。完成した1934年から65年に死ぬまでの生涯を、奥さんのイヴォンヌと(住み込みの家政婦も)過ごした家はル・コルビュジエ財団によって改修され、「ル・コルビュジエのアパルトマン・アトリエ」として公開されている。7階にサロン、寝室、キッチン、浴室などの生活空間と、吹き抜けのアトリエ。螺旋階段で結ばれた8階には来客用の部屋と屋上庭園という配置。テラスからの光で、どの部屋も明るく居心地がいい。アトリエの北壁はコンクリートではなく、隣の建物の外壁と思われる石壁。ル・コルビュジエはこの壁が好きで “語りかける石、毎日の友だち”と言っていた。 “住宅は住むための機械である”と宣言した近代建築家の意外な一面です。
この建物の西側の入り口があるトゥーレル通りを南へ向かう。32bis番地、パヴィヨン通りとの角に建つ2階建て一軒家の住宅は、1937年の建築。内側に緩く凹んだ2階から突き出たベランダの円弧がアール・デコっぽい。
トゥーレル通りをさらに南へ行くと、やや大きめの建物が多くなる。52番地の建物は、この町の集合住宅としては初期の1924年にウルバン・カッサンの設計で建てられたもので、外装は石造りの鉄筋コンクリート建築。カッサンは20〜30年代にル・アーヴル、ブレストなど駅舎の建築を多く手がけ、戦後はモンパルナス・タワーを設計している。60-62番地の集合住宅群は1929〜31年の建築。中庭側のレンガとコンクリートの組み合わせがいい。今はお金持ちの町のイメージが強いブローニュ・ビヤンクールだけれど、町の各所にこうした労働者向けの集合住宅が散在している。町の南、セーヌ沿いのポアン・デュ・ジュール河岸には、27.600m²の敷地に1000戸という超大型のHBM(低家賃住宅)群があります。
トゥーレル通りの集合住宅の角を入るベルヴェデール通りは、一転して小さな一戸建ての並ぶかわいい住宅街。道のカーブに沿った曲面のファサードを持つ27年の「ゴドフレイ邸」(4番地)は、バウハウス出身のレイモン・フィシェールの設計。1927〜35年と長年かかって建てられた、英国やオランダの住宅を思わせる長屋風住宅(6-12番地)。小さいけれどシンプルな28年の 「ヴィラ・サリス」は、アンドレ・リュルサの設計(9番地)。そして29年の 「ヴィラ・グルダン」はオーギュスト・ペレ。レンガのファサードがいかにもペレらしい。
ベルヴェデール通りと並んでアールデコと近代建築住宅が集中しているのが、町の北端、ブローニュの森の南側の住宅街です。テニスのロラン・ギャロスのすぐ南の私道アレ・デ・パンに、ル・コルビュジエ初期のアトリエ住宅「リプシッツ邸」(1923〜25年)、「ミスチャニノフ邸」(23〜26年)があるのだけれど、立ち入り禁止の門があって、残念ながらふだんは見ることができない。
アレ・デ・パンの西側とダンフェール・ロシュロー通りとの角の鋭角三角形の敷地いっぱいに建つ集合住宅は、まさに “パクボ・スタイル”の見本のような建築。この建物、船首のような下の部分は、ル・コルビュジエがアトリエ住宅として1924〜26年に造っていた。でもなぜか工事が中断、33〜36年にジョルジュ・アンリ・パングソンが今の形に仕上げている。
ダンフェール・ロシュロー通りがアンシャン・コンバタン交差点に出るすぐ手前に、3棟の大きな近代建築住宅が前庭を隔てて並んでいます。いちばん右の4番地、大きな窓がある「デュブラン邸」は1929年、レイモン・フィシェールの設計。中央6番地がル・コルビュジエの 「ヴィラ・クック」。ル・コルビュジエが『近代建築の五原則』を刊行した1927年の建物だから、それを実現しているのだけれど、庭の樹木が邪魔をして、ピロティも確認できない。水平連続窓は見えます。左の6番地はロベール・マレ・ステヴァンスの 「ヴィラ・コリネ」。屋上庭園に出る塔屋の縦長の窓が特徴的です。
アンシャン・コンバタン交差点のガンベッタ通りとJ・B・クレマン通りとの角に大きな窓を見せている「ロンバールのアトリエ住宅」(1928年)の設計はピエール・パトゥ。彼はノルマンディ号などの内装デザインを手がけ、パリ15区の環状道路沿いには大型のパクボ・スタイルの建物も設計した本家パクボ・スタイル建築家です。
ガンベッタ通りにも30年代建築が並んでいる。3番地の 「ヴィラ・ニエルマンス」(1935年)は建築家ジャン・ニエルマンスの控えめな表情の自宅アトリエです。
アンシャン・コンバタン交差点からバスで、ポルト・ドトゥイユまで数分。ロラン・ギャロスの前をまっすぐ歩いてもそう遠くはありません。