
クヴレ村にあるブライユ生家は、ブリー地方の当時の典型的な住居で、郷土博物館のような側面もある。色や香り、触感などを刺激する「五感庭園」は近年造られたもの。
ルイ・ブライユ(1809-1852)といえば、点字を開発した人。それゆえフランス語、その他多くの言語でも、点字は「Braille」と呼ばれている。パリ郊外クヴレ村のブライユの生家はミュージアムになっていて、世界中から見学者が訪れるというので前から行ってみたかった。
ルイの父親は皮革で馬具を作る職人。3歳のとき、この家の一角にある父親の工房で遊びながら、ルイはナイフで自ら右目を傷つけた。眼炎は左目に感染し、5歳にして両目を失明。当時、盲目の子どもは教育の機会に恵まれなかったが、両親が教育熱心で、村のパリュイ神父が個人的に指導にあたったことなどから、地元の小学校に入学できた。晴眼者の学校に入った初の盲人ルイは、優秀な成績を納めた。今、村役場になっている場所が小学校跡で、家からはなだらかな坂道を登っていく。子どもの足なら10分くらいだ。

ミュージアム受付には手で触って「見る」ことができる家の模型と、ブライユの胸像が置かれている。

ルイが失明してから、父親は馬具を作る道具を使い、アルファベットを習得するための道具を作った。

タイプ実演を見たり、点字盤で自分の名を打たせてもらえる。

ブライユが著した算数の本(1838)。文字の出っ張りを触って読解するもの。
その後、10歳でパリの王立盲人学校に入学する。ルイ14世の通訳(伊・西・葡)だったヴァランタン・アユイが1786年に設立した世界初の盲人学校。ここでもルイ君は勉学に秀でるばかりかピアノ、チェロ、オルガンなどを弾く。オルガンはパリのいくつもの教会で演奏していたほどだ。
当時、彼らの教科書は(学校の設立者アユイが考案した)文字を大きめに浮き彫りにし、触って読解するものだった(写真上)。読解は難しく、本を作るのにも費用がかかった。対するルイが開発した点字は、軍人シャルル・バルビエ・ド・ラ・セールが、闇のなかで意思疎通するための点字「ソノグラフィー」を改良したもの。アルファベット1文字を12の点で表記するバルビエ式を6つの点に簡素化し、アクセント、大文字、句読点、算数記号の表記、その4年後には音楽記号なども加えた。これを12〜16歳の時に開発したのだという。
ルイは17歳から同学校で教え始め、23歳で教師に。湿気の多い学校は病気の生徒が多かった。ルイは結核で43歳で没する。
彼の点字は1840年代になって一般に導入され始め、次第に世界で使われるように。没後100年にあたる1952年、ブライユはパンテオンに祀られることになった。(六)

ブライユが使っていた19世紀の典型的点字盤。紙に打った文字は裏返して左から読むため、書く時は右から逆さ文字で打つという難点も。

ルイが生まれた部屋。両親のベッド、暖炉、パン窯、ブリーチーズを作る場所。冬、暖房で温めるのはこの部屋のみだった。

遺骸はパンテオン入りするが、村の要望により「盲人の目」である手だけはクヴレ村の墓地に残された。
INFORMATIONS
【パリからの行き方】パリ東駅Gare de l’EstからP線に乗りEsbly下車、徒歩30分ほど。バスを使うなら降りたホーム側に出て6番でTouarte停留所下車、徒歩5分。RER A線 Val d’Europe駅からも、バス6番に乗れる。

Maison natale de Louis Braille
Adresse : 13 rue Louis Braille, 77700 CoupvrayTEL : 01.6004.8280
URL : https://www.coupvray.fr/decouvrir-coupvray/louis-braille/la-maison-natale/
月休。6€/10歳未満無料。 10/1~3/31 : 14h-17h (金は団体のみ)。14h、15h、16hに見学ツアー。4/1~9/30: 10h-12h、14h-17h。
