Exposition “Appel du 18 juin”
フランスには有名な演説がいくつもある。人々はそれを大事にし、ことあるごとに引用する。シャルル・ド・ゴール将軍が1940年、ロンドンのBBCラジオからフランス人に向けてレジスタンスを呼びかけた「6月18日の呼びかけ (Appel du 18 juin)」も、歴史の節目とされる演説のひとつだ。ド・ゴール家が今年の6月12日、その演説原稿を国立古文書館に寄贈したため、6月18日から3カ月間、同館で展示される。

第二次世界大戦勃発から8カ月後の1940年6月14日、ドイツ軍は首都パリへ侵攻、4年間にわたる占領が始まった。ド・ゴール将軍はパリからボルドーに避難した政府の軍事・国防次官として英ウィンストン・チャーチル首相とは数回会っており、空軍と海軍による援護をとりつけていた。ところが17日、政権に就いたペタン元帥が「6月17日のよびかけ」でヒットラー政権との休戦交渉を選択したことを国民に伝えた。
これを受けてド・ゴールは再びロンドンへ向かい、チャーチル首相と交渉し、18日の朝から原稿を書き、夕方18h30から録音、22時、BBCラジオから「6月18日の呼びかけ」を放送した。祖国を占領したナチス政権と戦う抵抗運動(レジスタンス)のため、イギリスにいるフランスの軍人、エンジニア、軍需産業の工員らの協力を呼びかけたのだ(1940年6月18日に放送されたド・ゴールの演説の録音は残されておらず、今日耳にすることがあればそれは6月22日に放送されたもの)。パリ住民800万人が地方へと避難の途上にある混乱のなか、この日BBCを聴いた人は少数にすぎなかったが、その後も60回ほど演説の放送は続けられた。6月27日には、召集されずサン島に残っていた14歳から54歳の男たち128人がド・ゴールに合流するため何艘もの船に乗って、イギリスへと渡った。
展示された手稿には、一度書いた文章を消したりしながら、人々の心に響く言葉を綴った跡が見られる。ペタン元帥が演説を人に書かせたのとは対照的に、ド・ゴールが演説と言葉の力を大事にしていたことや、演説中でも、それまで、戦いが欧州国間の戦争とみなされていたのを世界規模の長期戦になることを示唆するなど、分析の鋭さを示すものだという。またド・ゴール自身、この原稿を演説放送の翌日に妻のイヴォンヌに保管するように託したことがイヴォンヌのメモによってわかるように、歴史的演説であることを自覚していたようだ。

1940年7月からド・ゴール率いる「自由フランス France Libre」はロレーヌ十字をシンボルとし、レジスタンスに参加する人々を讃えるための「フランス解放勲章」をもうけた。8月には、演説の抜粋がロンドンの建物の壁などに掲げられるようになった(画像上)。このようにイギリスはド・ゴールを自由フランスの指導者として認知していたが、フランス政府からは裏切りと兵役拒否の罪を問われ、軍の階位は剥奪され、死刑と財産没収が宣告された。
展示はショーケース3つのみで、見逃しそうなほど小規模だが、自分たちの命をかけて自由を守ろうとした人々の強い意思が詰まった文書ばかり。「6月18日のよびかけ」の演説草稿は、人類史上忘れられてはならない貴重な文書としてユネスコ「世界記録遺産」に登録されている。(六)9/1まで。








Le musée des Archives nationales – L’hôtel de Soubise
Adresse : 60, rue des Francs-Bourgeois , 75003 Paris , FranceTEL : 01 75 47 20 00 月〜土10 h-15 h 45対応
アクセス : Hôtel-de-Ville、Rambuteau、 Arts et Métiers
URL : https://www.archives-nationales.culture.gouv.fr/
入場無料。火休。月〜金 : 10h - 17h30、土日 : 14h - 19h。
