アンドレ・ブルトン(1896-1966)が、サン・シル・ラポピーを発見したのは偶然からだった。1950年6月24日、「世界市民」(下の囲み記事参照) の運動に賛同した彼は、カオールで開催された 「国境なき道」開通式に参加。その際に立ち寄った村の印象を、「夜のありえないバラ(rose impossible dans la nuit)」のようだと、詩人らしく表現している。
村に一目惚れした彼は、翌年、岩石の上に建つ、村で最も古い家を購入した。中世には騎士の邸宅、その後は船乗りの宿、20世紀前半は新印象派の画家アンリ・マルタンが住んだ場所だ。「毎日目が覚めると、芸術だけでなく、自然と人生のとても豊かな時間への窓を開けるように思える」。そう綴ったブルトンは、以後、この世を去る1966年まで、毎夏をこの地で過ごした。マックス・エルンスト、マン・レイ、ジュリエット・グレコ、アンリ・カルティエ=ブレッソンら芸術家仲間も、数多く訪れた。
この家は詩人で活動家のローラン・ドゥセら有志の働きかけにより、ブルトンの死後50年に当たる2016年、村が購入に成功。改修作業を経て、昨年5月、ついに美術館として一般公開に漕ぎ着けた。今年はちょうど『シュルレアリスム宣言』の発表から100年となる記念の年でタイミングも良い。隣には美術収集家で画家のエミール・ジョゼフ・リニョーの美術館もあったが、この機会に二軒の家は、「アンドレ・ブルトンの家/シュルレアリスムと世界市民権の国際センター」の名の下に、小さな橋で結ばれ融合した。
美術館の入口は、坂の上方にある元リニョーの家にある。こちらは主に特別企画展の会場だ。開催中の企画展「Merveilleuse Utopie」では、個人と集団双方の幸福を希求する運動としてシュルレアリスムを捉え直し、積極的に現代のアート作家たちの仕事に焦点を当てている。フランスで最も若い学芸員のクレモン・ガエスレーさんは、「シュルレアリスム運動をホルマリン漬けにすることなく、現代のアートとの持続性を示していきたい」と抱負を語る。
続いて、常設展示があるブルトンが住んでいた館へ。階段には舞台美術家のピエール=フランソワ・リンボッシュが手がけた「ポエムの木」が来場者をお出迎え。これは逆さに吊り下げられた木のインスタレーションで、幹には悪戯っぽくこちらを覗くブルトンの顔や、彼の墓碑銘 「私は時の黄金を探す」が見える。続く展示室には巨大なトランクが登場。中を開ければ、ブルトンの私物パイプや、プリミティブ・アートが並ぶ 「驚異の棚」的スペースが広がる。クレモンさんが「『不思議の国のアリス』の白うさぎの穴をイメージした」と語るように、シュルレアリスムの精神を感じさせる幻想的な空間だ。室内には妻のエリザや芸術家仲間の写真、ブルトンが村を訪れた時の感動を綴ったゲストブックの複製などもあった。
当館は、展示スペースの他にアーティストのレジデンス、ワークショップ、本屋、カフェなどの機能も併せ持つ。今後は専門図書館の一般公開や、さらなるコレクションの充実を目指し、引き続き美術館会員と寄付を募集している。(瑞)
Maison André Breton :
Centre International du Surréalisme et de la Citoyenneté Mondiale :
Place du Carol 46330 Saint-Cirq-Lapopie
https://ciscm.fr
水~日10h-12h/14h-18h (月・火休)
入場料5€ (2€追加でガイド付き)/ 学生と村の住人は料金自由/18歳未満無料。
9/7まで 「Merveilleuse Utopie」展開催。
世界市民と国境なき道
世界を荒廃させた第二次世界大戦への反省から、国境のない「世界市民」となることで、平和と人類の団結を希求する運動。アメリカ人の元ブロードウェイ俳優で、大戦中は爆撃機パイロットだったギャリー・デイヴィスが1948年に開始した。ブルトンを始め、カミュ、サルトル、ガンジー、アインシュタイン、ピエール神父らが賛同。1949年にはカオールがいち早く「世界市民都市」を宣言。翌年の1950年、カオールからサン・シル・ラポピーに至る道を、「国境なき道」として象徴的に開通させ、道標を設置した。現在も運動は続いており、道路の随所にそれら道標が置かれている。
取材・文 林瑞絵、編集部
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