マクロン大統領の側近が治安当局の一員を装い、今年のメーデーのデモに参加した市民に暴行していたことが、7月18日、発覚した。ル・モンド紙がサイトに、市民が撮影したビデオを掲載した。大統領府や内相は直後に事件を把握していたが、この職員を2週間の停職処分としただけだったことも判明。政府の対応に非難の声が高まり、上・下院が調査委員を組織し、内相、パリ警視総監、大統領室長、大統領首席補佐官などの聞き取りを行うだけでなく、右派・左派からそれぞれ内閣不信任案が提出されるまでに発展した。
事件を起こしたのは、マクロン大統領のボディガードを選挙戦中から務め、政権発足後は大統領室長助役の肩書きでセキュリティを担当していたアレクサンドル・ベナラ氏(26歳)。ビデオではパリ中心部の広場で、機動隊とともに警察の腕章を着けヘルメットをかぶった同氏が、女性の首を抑えて連れ去った後、別の男性を引きずり、殴る蹴るなど暴力をふるう様子が確認できる。
大統領府にはメーデー前に、ベナラ氏から機動隊に同行したいと希望があり、「見学者」として同行する許可が出ていたという(ベナラ氏自身は「警視庁参謀総長から招待された」)。しかし、その翌日、ソーシャルネットワーク上に投稿されたビデオでベナラ氏を確認した職員から知らせを受け、2週間の停職処分に。
復職後のベナラ氏の勤務は「大統領官邸内での警護のみに限られる」とエリゼ宮は説明していたが、マクロン夫妻がジヴェルニーを訪問した7月13日も、ベナラ氏が彼らの警護にあたっていた映像がメディアに流れ、当初の説明が覆えされた。その後も、7月1日のパンテオンでの公式行事、7月14日の革命記念日行事、7月16日のW杯サッカー仏代表の凱旋パレードのバスに同乗するなど、停職前と同じように勤務していた映像が次々と出てきた。さらに、7月からは大統領府が所有する建物に住んでいたこと、通常、国民議会の議場に入れるバッジを所持していたこと(インタビューで「国民議会のスポーツジムに行くのが好きだったからカードを申請した」と説明)、異例の速さと若さで中佐に昇格したことなど、特別な待遇が次々と報じられた。
19日のリベラシオン紙は、ジョルジュ・ブラッサンスの歌にちなみ「ゴリラ(※スラングでボディーガード)に要注意」との見出しで伝えた(冒頭写真)。19日には検察が、ベナラ氏と、与党「共和国前進」職員で暴行に加わった別の男性に対し、「公務員による集団暴行」「職権乱用」などの容疑で予備捜査を、22日には本捜査を開始。また、ル・モンド紙が問題のビデオを掲載した日にベナラ氏に街頭の監視カメラ映像を渡した容疑で、警官3人に対する捜査も始まった。
エリゼ宮は20日、ベナラ氏の解雇を発表したが事態は収まらない。ついに24日、マクロン大統領が沈黙を破り、ベナラ氏の行為を「裏切り」「責任は私にある」などと語るビデオが流布しはじめた。とはいえ、それが与党議員のみの集会だったために「(仲間議員の前だけでななく)国民全体に対して説明するべき」と批判は止まず。とりわけ「彼らが責任者を探しているなら、私はここにいる、捕まえに来ればいい!」という一言が、政治家や国民の怒りを買った(大統領は免責特権で守られ、誰も手を出せないのは誰もが知っている)。「ならば(他の関係者と同じように)調査委員会の前で説明するべき」と多くの政治家が応え、「ならば捕らえに行く」と、数百人の市民がマクロン大統領の政党「共和国前進!」の本部前に「マクロン辞任」「ベナラ監獄へ」などのプラカードを掲げて集まった。
26日に共和党が、27日に左派3党が共同で提出した内閣不信任案は、7月31日午後に国民議会で投票されるが、内閣が覆される可能性は無い。しかし、警察官でもないのにPoliceの腕章をつけ、デモに参加した市民に暴力をふるい身柄を拘束したこと、その現場のビデオを見た後で、その違法行為を大統領官邸も、内務省も、警視庁も、「共和国前進」党も放置した(違法)行為。メディアが報じていなければ、まかり通っていたことが露呈した。大統領に権力が集中しすぎる第五共和制が、「王様の首を切りきれていない共和制」と批判されるのも仕方ない。(31日紙面に掲載したものに編集部が加筆)
サイトメディア、メディアパートが掲載したビデオ。