単刀直入に言えば、ミッシェル・ポルナレフの最大の問題はメガロマニー(誇大妄想症)である。ほとんどの「スター」たちは並みにメガロであるが、ポルナレフは並外れている。常にピープル誌の一面に載っていないと気が済まないような。12月初めから始まったコンサート中止/緊急入院騒動は、おさまることなく12月いっぱいその種のメディアを騒がせ続けたが、ことの白黒はともかく、この話題性の維持に関してはポルナレフの望むところだったろう。
ことの次第を要約する。2016年春から7カ月約70公演続けてきたコンサートツアーの最後の2回のうち、12月2日(金)パリのサル・プレイエル公演が、その日の午後4時にアーチストからの申し出(体調不良、過労、呼吸不全)でキャンセルになる。翌日3日(土)に予定されていたツアー千秋楽のナントのゼニットでのコンサートも、回復せずキャンセル。ナントに移動せずパリに留まったポルナレフは3日夜、ヌイイのアメリカン・ホスピタルに緊急入院。同病院のフィリップ・シウ医師は両肺が塞栓症となっており、生死に関わる危機的病状と発表。テレビ・ラジオ他の大メディアはトップニュースとして報じ、4日と5日、全フランスおよび全世界のポルナレフファンたちの心配は頂点に達し、フェイスブックやツイッターは全世界からの激励と祈りのメッセージで埋まった。しかし5日夕刻、危機は脱したと報じられた後は、療養と回復への希望でファンたちは安堵し、この件は間もなく人の口から消えるはずだった。
11日(日)週刊紙JDD上で、最終2回の公演キャンセルにより50万ユーロを損失したとされるツアーの興業プロモーター、ジルベール・クリエが、ポルナレフの病状に疑義をはさんだ。弁護士を通じて病状の真偽を明白にさせ、その何如によっては損害賠償を要求する構えもある、と。疑惑の根拠は、2日(サル・プレイエル公演をキャンセルした日)の夜、ポルナレフは滞在ホテルのバーで飲食し、362ユーロの請求書が残っているということ。つまり豪華に飲み食いできるほど元気だったと。メディアは再び「ポルナレフ仮病?」と騒ぎ立て、当時まだ入院中だったポルナレフは激怒してSNSで応戦、全世界のファンを味方につけてこの「言いがかり」を非難した。カルテの公開を迫られたシウ医師も「私はポルナレフの友人ではなく医師である」と毅然と受けて立った。
15日(木)夜、緊急入院から13日後にポルナレフはアメリカン・ホスピタルを退院、ヴェルサイユの豪華ホテルに向かった。その退院第一夜を、ホテルのバーでシャンパーニュで祝っているところを目撃されている。生死の境の大治療の10日後にアルコール?とメディアは再炎上し、仮病説が再び勢力を取り戻す。「私は退院を祝ったまで。アルコールが肺塞栓症を再発させることなどない」とアーチストはツイッター上で開き直った。
72歳の「スーパースター」にいいようにあしらわれているような印象があるが、プロモーター側の立場は深刻である。ポルナレフという68〜73年のフランスの天才ポップ歌手は、74年に渡米して以来、フランスに不在の間も何年かおきにアルバムを発表したり、遠隔インタヴューに出たり、かくれんぼ遊びのようなやり方でファンたちをつなぎ留めてきた。いつかはフランスに帰ってコンサートを、という甘い約束は30年以上果たされなかったが、ファンたちは待っていた。
もう絶対にありえないだろうと思われていた頃に、2007年の“ZE (RE)TOUR(ザ・帰還ツアー)”は発表され、34年ぶりのツアーはフランス全土で100万人を超す入場者を数えた。ツアー前に、声が出ないのではないか、2時間のショーに耐えられないのではないか、と危惧されたこのバクチのような企画に乗ったのがジルベール・クリエだった。その大成功の9年後、事情はかなり変わったものになっていた。
ポルナレフは1990年の『カーマスートラ』以来、新曲アルバムを発表していない。毎年のように新アルバムは完成したと宣言しているが現実は違う。創造性の枯渇は隠しようがない。2015年、ポルナレフは正真正銘の新アルバムを約束し、2016年3月までに絶対に発表し、新曲で全国ツアーをすると言った。ジルベール・クリエは再びそれに賭けた。しかし新作はなく、2007年と同じような懐メロショーとなるとわかった途端、ツアーのチケットは売れず、前売り段階で大きな会場の公演がいくつもキャンセルになったり、入場料を値下げして売りなおしたり、埋まらない会場は黒幕で後部空席を隠したり…。70回の公演で、ポルナレフ自身は大成功を豪語するのだが、ジルベール・クリエは全く逆の大損失を語っている。
問題の週だけで4回の公演があり、時折呼吸困難になるところを抗生物質を打って持ち堪えたがついに倒れた、ということは事実だろう。しかし俺が「ラヴミー、プリーズ、ラヴミー」と歌えば幾百万のファンは永遠についてくるというメガロな神話が、なくなっているというのも事実だろう。
文・向風三郎