フランソワ・オランド大統領は12月1日夜、突如国民に向けたテレビ演説で「私が立候補しても多くの人を集結できないリスクを認識している。私は大統領選に出馬しないことを決めた」と語った。歴史的な支持率の低さにもかかわらず、来年5月の大統領選への出馬を検討していたが、身を引くことを決めた。翌日の新聞各紙は「終焉」(ル・フィガロ紙)、「私抜きで」(リベラシオン紙)、「さようなら大統領」(20ミニュット紙)などの見出しで大きく報じた。
これを受けて5日、マニュエル・ヴァルス首相は地元エヴリで「左派をまとめ、勝利に導きたい」と述べ、大統領選への出馬を発表。自由に選挙戦を戦いたいと翌日、首相を辞任、7日には選挙本部も構え、正式に選挙運動に入った。まずは、1月末に開かれる左派の候補者を決める予備選挙の候補者となる。この予備選挙への立候補締め切りが12月15日と迫るなか、オランド大統領が進退を明らかにせず、出馬に意欲を示していたヴァルス首相との対立が噂されていた。優柔不断な性格で、カリスマ性のなさも大統領にそぐわないとされる一方、ヴァルス首相は、激しい気性で対をなしている。
オランド大統領は、戦後の大統領のなかで最も低い支持率を記録し、10月の世論調査では、81%の国民が「不支持」と答えていた。就任時の2012年には社会主義政策、失業率の改善を公約していたが、失業率は悪化を続け、最近ようやく歯止めがかかってきた程度。任期半ばからは自由社会主義を掲げ、企業の社会保険料軽減など経済改革を試みたが、左派からは企業寄りの政策と非難され、内部に深い亀裂を生んだ。
オランド大統領の任期は、フランスがイスラム過激派の脅威にさらされた5年間でもあった。2013年にイスラム過激派が台頭したマリに軍事介入すると、その軍事活動の停止を要求するテロ組織による人質事件がアルジェリアなどで起き、昨年は1月と11月にパリで連続テロ、今年7月は、ニース花火大会でのテロが起きた。
最近の世論調査によると、来年の大統領選では、大統領の不人気や内部分裂を背景に、左派は第一回投票で敗退。共和党のフランソワ・フィヨン氏、極右・国民戦線のマリーヌ・ルペン氏が決戦投票を争うとみられている。(重)